2011年10月23日日曜日

執行官ミニ歴史(1) 執達吏、執行吏から執行官へ

 曝松公平は動産執行に行き「執行官」と名乗ったところ、債務者から「ああ、執達吏か」と言われたことがあります。2003年(平成15年)のことです。言ったのは70歳を超えた老人でしたが、驚きました。

 執達吏(しったつり)というのは執行官の旧称です。1890年(明治23年)の裁判所構成法によって、区裁判所に「執達吏」を置くと定められたときの名称であり、明治以来、太平洋戦争まで続きました。「執達」という漢字は「上位の者の意向・命令を下位の者に伝える」という意味のようですが、同様の意味の「通達」とは、「通」の代わりに、執行の「執」が使われている点が異なります。

 執達吏は①手数料制②役場制③自由選択制を基本としていました。「役場」は仕事をする場所のことですから、「役場制」は、執達吏自身が仕事場を設け、運営する体制を意味します。依頼者は自分で選んだ執達吏の役場に行き、執行を依頼し、執達吏は依頼者から手数料をもらうという仕組みになっていたわけです。

 執達吏と呼ばれたのは太平洋戦争までです。戦後、1947年(昭和22年)には「裁判所法」が制定され、執達吏は「執行吏」と名称が変わります。この名称変更は、日本国憲法の制定で監督体制が変わったためで、実体の変更は伴いませんでした。
 これを考えると、老人が「執行吏」と言わなかったのは分かるような気がしますが、それにしても、「執達吏」とは古すぎないでしょうか。

 執行官という現在の呼称に変わったのは1966年(昭和41年)の「執行官法」の制定によってですから、今から45年も前のことです。

 「執行吏」から「執行官」への名称変更は、同じ公務員でも、地位が変わったことを意味しています。「官吏」は公務員を指すことばですが、厳密には「官」は国の、「吏」は地方の公務員を指します。執行官への名称変更は、執行官が「吏」から「官」に変わったことを意味するわけです。

 当然、実体の変更を伴いました。その改正点は、淺生重機(当時東京地方裁判所民事21部総括判事)「執行官制度の歴史と将来の展望」1992年(平成4年)3月民事執行実務No.22によると「一言で言うと、役場制と自由選択制を廃止し、公務員としての性格を強化するということである」とされ、「その具体的内容は、(1)裁判所の庁舎内で執務し、(2)事務分配は原則として所属の地裁が定める、(3)金銭の保管は、地裁がその事務として行う、(4)名称を執行官と改める、ということであった。」とされています。

 執達吏制度については、当時から、①執行の遅延(執行に着手するまでに相当の期間を要した。)、②権威の失墜(執行吏が委任者の代理人であるかのような印象を与えた。)、③職務執行の不明朗、不公正(当事者との間に情実が生じやすい。)、④執務体制の前近代性(役場制のため裁判所の監督が不十分)、⑤地位、待遇の不安定などの弊害が指摘されており、執行官法の制定はこれらの弊害に対処するためであったそうです(前掲淺生論文)。(手数料制は現在も残っています。)

 老人が20歳台には執行官はもう「執行官」だったはずなのに、何故、老人は「執達吏」と言ったのでしょうか?かなり昔の記憶がそのとき呼び起こされたのかもしれません。そうだとすると、強制執行、いや執行官は、多くの人にどんなに強い印象を残すものか、改めて考えさせられました。その老人は執行官に対してどんなイメージを抱いていたのでしょうか。曝松公平は今でも気になっています。

 現在の執行官は、「官署としての地方裁判所に置かれ、法律の定めるところにより裁判の執行、裁判所の発する文書の送達その他の事務を行う独立かつ単独制の司法機関であって、同名の国家公務員によって構成される(裁62条)。」と説明されています(中野貞一郎「民事執行法(新訂4版)」52頁)。