2012年6月28日木曜日

執行官ミニ歴史(6) 「不動産競売の時代」の到来



 不動産競売は明治時代から存在する、金銭債権の回収のための手続です。不動産競売には、現在も、「強制競売」と「担保競売」の2種類がありますが、強制競売は強制執行として行われる本来型、担保競売は抵当権などの担保権実行として行われる簡易型と思っていただければよいでしょうか。(注1
 いずれの不動産競売も、手続は、裁判所が執行機関となって、不動産を(1)差押え、(2)換価(売却)し、(3)売却代金を配当するという流れで進みます。執行官はこのうち、売却(開札)事務だけを担当するという時代が、長く続きました。

(注1) 強制競売は判決等の「債務名義」を根拠とする強制執行手続で、明治23年に旧民事訴訟法に規定されていました。他方、担保競売は抵当権設定契約などの「合意」を根拠とする手続で、明治31年の競売法に規定されていました。現在は両者とも民事執行法に規定されていますが、裁判所の事件符号は、現在もなお、強制競売は「ヌ」、担保競売は「ケ」と区別されています。

 不動産競売制度の歴史は長いですが、実は、昭和50年代ころまではあまり利用されませんでした。

 1959年(昭和34年)以降の新設住宅戸数は次のグラフのとおりです。執行官法成立の2年後、1968年(昭和43年)には住宅総数が世帯総数を超えましたが、新設住宅数はその後も1972年(昭和47年)まで「うなぎ上り」に増加しています。昭和40年代は毎年平均135万戸もの住宅が建設され、既に「住宅の大供給時代」に入っていたと言ってよいでしょう(注2。それにもかかわらず、不動産競売はあまり利用されなかったのです。

(注2) 1971年(昭和46年)から翌年にかけていわゆる住専(住宅金融専門会社)各社が相次いで設立されました。
 利用が少なかったのは、このころは「不良債権発生がきわめて少なく、またロス(回収不能)額の発生も稀有」であり、「担保物件の競売まで実行するケースは、債務者が倒産あるいは行方不明等であり、担保不動産の競売による以外、回収方策のない場合がほとんどであったが、このようなケースさえ限られたものだった」2003年瀧波武「多様化する銀行の法的債権回収策」銀行法務21NO.616と言われています。不動産の価格が上昇していれば、いざというときには任意に売却して債務を解消することもできますから、不動産競売という最後の切り札を切る必要がなかった、そういう時代だったということでしょう。

 しかしながら、他方、不動産競売制度そのものに対して、利用しにくいという批判も古くからありました。指摘されたのは、誰でもが安心して買える制度ではない(閉鎖性)という問題点でした。

 すなわち、不動産の権利の公示手段は「登記」ですから、不動産競売手続は差押えも売却も「登記」によって行われますが、この結果、不動産の占有(事実的支配。分かりやすく言えば、使用していること)の状況は問題にする必要はないと考えられ、手続上、現地調査は行われないままに売却されていたのです(注3しかしながら、現地調査の行われていない不動産を買い受けるのは素人にはリスクが大きく、買受希望者はおのずから限定されてしまうことになります。当時は、希望者が売却場に出向いて入札を行う「期日入札」という方法で売却が行われていましたが、売却場では競売ブローカー等が無言の圧力をかけるなどの不正も行われたようですから、なおさらです。これでは、不動産競売制度は適切に機能しません。

(注3) 現実問題としては、対抗力を持つ賃借人が使用(占有)していれば、買受人はその賃貸借を引き受けなければならないので、不動産競売でも「占有」は問題になります。このため、債権者の申立てによって「賃貸借取調べ」と呼ばれる不動産調査が実務上行われていましたが、これは手続に必須のものとはされていませんでした。目的不動産を登記によって特定し差し押さえているのだから、屋上屋を架す現地調査を行う必要はないと考えられたのだと思われます。
 なお、動産執行ではこのような問題は生じません。動産は「占有」が権利の公示手段ですから、差押えも執行官が動産の占有を取得して行い(債務者使用が許可されたとしても)、売却も買受人に占有を移転して行いますから、明快です。

 そこで、執行官法成立の約15年後、1979年(昭和54年)に民事執行法が制定され、「開かれた競売」を目指す不動産競売制度の改正が行われました。
 すなわち、裁判所は、執行官に「現況調査」を行わせて(民事執行法57条)、売却条件を決定し、その条件を明示した「物件明細書」を作成し、現況調査報告書及び評価書とともに、買受希望者に閲覧させるように改めました。(これが、不動産競売物件情報がインターネットでも提供されるようになった発端です。)
 また、売却方法を、買受希望者が売却場で入札書を書かなくて済む「期間入札」に改めました(注4

(注4) 期間入札は、入札を一定期間内に郵便等によって行う方法です。入札者は売却場に出向く必要はありません。反面、入札書は開札日まで執行官室で保管することとなりました。

 そもそも法律関係は訴訟等によらなければ確定することはできません。現況調査で法律関係を調査してみても、あくまでも未確定の、つまり暫定的な認定に過ぎません。その暫定的に認定された法律関係を裁判所の判断(物件明細書)と明示して買受希望者に情報提供する!というのですから、まさに画期的な改正でした。(執行官の現況調査事務については次回ブログで取り上げる予定です。)

 ところで、この後、日本経済は大きく動きます。
 民事執行法は1980年(昭和55年)10月に施行されましたが、その5年後にプラザ合意が成立しました。プラザ合意以降、日本では、円高不況(輸出の減少)が懸念され、公定歩合引き下げなどの金融緩和政策がとられるようになって、不動産価格も上昇しました。そして、その後、1989年(平成元年)からの金利上昇、土地融資の総量規制などにより、急速に値下がりしました。バブルとその崩壊です。

 このときの土地バブルは「列島改造バブルと異なりこの時期の不動産投資は不動産業者の独壇場ではなく、むしろ金融緩和に悩んだ多くの種類の金融機関が主導権を握っていた」のが特徴とされ、「”不動産金融バブル”は金融機関と不動産業界を頂点として企業や個人が煽られ、挙句の果ては企業や個人が痛い目にあい、頂点にあった金融機関や不動産業界は崩壊してしまった。」(井上明義「地価はまた下がる」)と言われます。

 バブル崩壊後には、日本全国で大量の不良債権(注5が発生しました。しかしながら、不況の中で、破綻した金融機関等への国費投入などの問題も伴い、回復(不良債権処理)は著しく長引くことになりました。

(注5) このとき発生した不良債権の総額については、「バブル崩壊(92年度)以降073月期までの15年間の不良債権処分損(全国銀行)は累計で97.8兆円にのぼる。不良債権はなお11.8兆円残っているから、バブル崩壊後15年間に存在した不良債権総額は合わせて109.6兆円であったということになる。」(西村吉正「不良債権処理政策の経緯と論点」http://www.esri.go.jp/jp/others/kanko_sbubble/analysis_04.html)とされています。

 バブル崩壊の前後ころから不動産競売の需要は高まりました。「不動産競売(新受)事件数」(その年に申立てのあった事件数)を見てみますと、民事執行法の運用が定着したと思われる1982年(昭和57年)以降は次のグラフのとおり推移しました。
 このグラフを見てどんなことに気付かれるでしょうか?筆者が持った印象をいくつか書き出してみます。
1)「やむを得ず」申し立てられる不動産競売にしては、29年間、毎年平均6.5万件という数字は「多い」(注6と思われます。

2)競売が増えたということから、任意売却(注7は相対的に減少したと推定できそうです。

3)強制競売(グラフの下方の緑線)は、バブル崩壊後は減少しました(注8。これは、担保権が実行されるケースが増加したことを示します(古くは、担保権は実行されないもの!だったのが、変わりました。)

4)29年間を通じて、最多件数は7.8万件、最少件数は4.1万件です。不動産競売件数は、この3.7万件の幅の中で緩やかに(年度差は大きくありません。)増減していますから、安定していると見ることができるのではないでしょうか。

5)1990年(平成2年)前後の件数の減少はバブル崩壊の影響と思われます。筆者は、2007年(平成19年)5.5万件、2010年(平成22年)5.1万件と減少したのも、景気(不動産価格)の予測が困難で申立てが躊躇われたと推測しています。

6)年間7万件以上の年は、バブル崩壊前は1985年(昭和60年)以降の3年間、バブル崩壊後は1998年(平成10年)以降の7年間です。7万件以上の年がいずれも連続していること、また、8万件を超える年は1年もないことは、注目されます。

(注6) 前掲の新設住宅数の同期間の平均は毎年130万ですから、不動産競売の申立て件数はその4.98%に当たります。的外れの対比かもしれませんが、この比率はやや高いように思われます。

(注7) 不動産を不動産競売手続によらないで売却して債務を返済する、いわゆる任意売却は、「回収額の極大化と債権の早期回収につながるわけであり、債権者にはメリットがあった。」「しかし、不動産価額の下落により、金融機関の価額査定(要回収額)と実際の売買(希望)価額の間に乖離が生じ、取引が成立しないケースが増加した。」(瀧波武前掲)と言われます。もっとも、任意売却の件数の統計はなく、推定するほかありません。

(注8) 全不動産競売事件中に占める強制競売の割合は、バブル崩壊前は2638%でしたが、バブル崩壊後は、1992年(平成2年)25%が最も高く、以降、年々低下しました。1998年(平成10年)は15%2008年(平成20年)は7%に低下しています。

 民事執行法によって生まれ変わった不動産競売制度は、バブルとその崩壊によって生じた大量の金銭債権の最終的回収手段として、最大限の機能を求められるようになりました。今や、金銭執行の時代、さらに強調して言えば「不動産競売の時代」が訪れていると言えるでしょう。最近数年間は申立てが減少しているようですが、金銭債権が存在し、その回収が求められる限り、不動産競売の時代は続くのではないでしょうか?(最近の不動産競売の売却状況については筆者の「不動産競売価格統計」http://sarematu.in.coocan.jp/をご参照ください。)

 ところで、「不動産競売の時代」の到来は、裁判所にとってひとつの大きな「試練」であったことを最後に付け加えておきます。

 不動産競売の申立ては1991年(平成3年)以降増加に転じましたが、裁判所の「努力にもかかわらず、事件数の急増とともに、一般の不動産市況の影響を受けて売却率が長期にわたって低迷しているため、なお多くの事件が売却未了の状態で裁判所に継続している状況にある。」(林道晴「不良債権処理のための民事執行法及び民事執行規則の改正について」判例タイムズNo.986と言われました。全国の不動産競売未済事件数は、1990年(平成2年)は59,009件でしたが、1997年(平成9年)には121,257件と倍増しました。
 しかしながら、1998年(平成10年)になると、国会でいわゆる資産流動化関係法、金融円滑化法、金融再生関連法などが成立し、不良債権の早期処理に向けての本格的取り組みが行われることになり、不動産競売手続に関しても1998年(平成10年)に(注9、その後も2003年(平成15年)(注10及び2004年(平成16年)(注11に法律改正が行われ、全国の裁判所で不動産競売事件の迅速処理に向けて様々な事務改善が行われました。

 その結果、未済事件は2000年(平成12年)には98,468件と10万件を切り、2003年(平成15年)以降も70,647件→63,507件→53,800件と毎年減少を続け、2006年(平成18年)には46,172件になりました。
 なお、入札を求めた物件のうち、実際に買い受けられた物件の割合を「売却率」と呼びますが、売却率は2002年(平成14年)は53.1%でしたが、次年度以降62.9%→70.3%→75.8%と上昇し、2006年(平成18年)には81.3%と実に8割を超えるようになりました(金融法務事情No1806「平成18年度における不動産競売事件の処理状況」)

(注9) 1998年(平成10年)第143回国会において「競売手続の円滑化等を図るための関係法律の整備に関する法律」及び「特定競売手続における現況調査及び評価等の特例に関する法律」が成立しました。このときから、執行官はライフラインに関する契約状況や固定資産税課税台帳添付の図面等を調査できるようになりました。

(注10) 2003年(平成15年)第156国会において「担保物権及び民事執行制度の改善のための民法等の一部を改正する法律」が成立しました。これは、担保不動産収益執行手続の創設、短期賃貸借の保護制度の廃止、保全処分の要件の緩和等、競売不動産の内覧制度の創設、裁判所による財産開示制度の創設などを内容としています。

(注11) 2004年(平成16年)には「民事関係手続の改善のための民事訴訟法等の一部を改正する法律」が成立しました。この改正によって、「最低売却価額」制度に代わって、「売却基準価額」及び「買受可能価額」の制度が発足しました。また、剰余を生ずる見込みがない場合の措置の合理化も図られました。