2012年6月28日木曜日

執行官ミニ歴史(6) 「不動産競売の時代」の到来



 不動産競売は明治時代から存在する、金銭債権の回収のための手続です。不動産競売には、現在も、「強制競売」と「担保競売」の2種類がありますが、強制競売は強制執行として行われる本来型、担保競売は抵当権などの担保権実行として行われる簡易型と思っていただければよいでしょうか。(注1
 いずれの不動産競売も、手続は、裁判所が執行機関となって、不動産を(1)差押え、(2)換価(売却)し、(3)売却代金を配当するという流れで進みます。執行官はこのうち、売却(開札)事務だけを担当するという時代が、長く続きました。

(注1) 強制競売は判決等の「債務名義」を根拠とする強制執行手続で、明治23年に旧民事訴訟法に規定されていました。他方、担保競売は抵当権設定契約などの「合意」を根拠とする手続で、明治31年の競売法に規定されていました。現在は両者とも民事執行法に規定されていますが、裁判所の事件符号は、現在もなお、強制競売は「ヌ」、担保競売は「ケ」と区別されています。

 不動産競売制度の歴史は長いですが、実は、昭和50年代ころまではあまり利用されませんでした。

 1959年(昭和34年)以降の新設住宅戸数は次のグラフのとおりです。執行官法成立の2年後、1968年(昭和43年)には住宅総数が世帯総数を超えましたが、新設住宅数はその後も1972年(昭和47年)まで「うなぎ上り」に増加しています。昭和40年代は毎年平均135万戸もの住宅が建設され、既に「住宅の大供給時代」に入っていたと言ってよいでしょう(注2。それにもかかわらず、不動産競売はあまり利用されなかったのです。

(注2) 1971年(昭和46年)から翌年にかけていわゆる住専(住宅金融専門会社)各社が相次いで設立されました。
 利用が少なかったのは、このころは「不良債権発生がきわめて少なく、またロス(回収不能)額の発生も稀有」であり、「担保物件の競売まで実行するケースは、債務者が倒産あるいは行方不明等であり、担保不動産の競売による以外、回収方策のない場合がほとんどであったが、このようなケースさえ限られたものだった」2003年瀧波武「多様化する銀行の法的債権回収策」銀行法務21NO.616と言われています。不動産の価格が上昇していれば、いざというときには任意に売却して債務を解消することもできますから、不動産競売という最後の切り札を切る必要がなかった、そういう時代だったということでしょう。

 しかしながら、他方、不動産競売制度そのものに対して、利用しにくいという批判も古くからありました。指摘されたのは、誰でもが安心して買える制度ではない(閉鎖性)という問題点でした。

 すなわち、不動産の権利の公示手段は「登記」ですから、不動産競売手続は差押えも売却も「登記」によって行われますが、この結果、不動産の占有(事実的支配。分かりやすく言えば、使用していること)の状況は問題にする必要はないと考えられ、手続上、現地調査は行われないままに売却されていたのです(注3しかしながら、現地調査の行われていない不動産を買い受けるのは素人にはリスクが大きく、買受希望者はおのずから限定されてしまうことになります。当時は、希望者が売却場に出向いて入札を行う「期日入札」という方法で売却が行われていましたが、売却場では競売ブローカー等が無言の圧力をかけるなどの不正も行われたようですから、なおさらです。これでは、不動産競売制度は適切に機能しません。

(注3) 現実問題としては、対抗力を持つ賃借人が使用(占有)していれば、買受人はその賃貸借を引き受けなければならないので、不動産競売でも「占有」は問題になります。このため、債権者の申立てによって「賃貸借取調べ」と呼ばれる不動産調査が実務上行われていましたが、これは手続に必須のものとはされていませんでした。目的不動産を登記によって特定し差し押さえているのだから、屋上屋を架す現地調査を行う必要はないと考えられたのだと思われます。
 なお、動産執行ではこのような問題は生じません。動産は「占有」が権利の公示手段ですから、差押えも執行官が動産の占有を取得して行い(債務者使用が許可されたとしても)、売却も買受人に占有を移転して行いますから、明快です。

 そこで、執行官法成立の約15年後、1979年(昭和54年)に民事執行法が制定され、「開かれた競売」を目指す不動産競売制度の改正が行われました。
 すなわち、裁判所は、執行官に「現況調査」を行わせて(民事執行法57条)、売却条件を決定し、その条件を明示した「物件明細書」を作成し、現況調査報告書及び評価書とともに、買受希望者に閲覧させるように改めました。(これが、不動産競売物件情報がインターネットでも提供されるようになった発端です。)
 また、売却方法を、買受希望者が売却場で入札書を書かなくて済む「期間入札」に改めました(注4

(注4) 期間入札は、入札を一定期間内に郵便等によって行う方法です。入札者は売却場に出向く必要はありません。反面、入札書は開札日まで執行官室で保管することとなりました。

 そもそも法律関係は訴訟等によらなければ確定することはできません。現況調査で法律関係を調査してみても、あくまでも未確定の、つまり暫定的な認定に過ぎません。その暫定的に認定された法律関係を裁判所の判断(物件明細書)と明示して買受希望者に情報提供する!というのですから、まさに画期的な改正でした。(執行官の現況調査事務については次回ブログで取り上げる予定です。)

 ところで、この後、日本経済は大きく動きます。
 民事執行法は1980年(昭和55年)10月に施行されましたが、その5年後にプラザ合意が成立しました。プラザ合意以降、日本では、円高不況(輸出の減少)が懸念され、公定歩合引き下げなどの金融緩和政策がとられるようになって、不動産価格も上昇しました。そして、その後、1989年(平成元年)からの金利上昇、土地融資の総量規制などにより、急速に値下がりしました。バブルとその崩壊です。

 このときの土地バブルは「列島改造バブルと異なりこの時期の不動産投資は不動産業者の独壇場ではなく、むしろ金融緩和に悩んだ多くの種類の金融機関が主導権を握っていた」のが特徴とされ、「”不動産金融バブル”は金融機関と不動産業界を頂点として企業や個人が煽られ、挙句の果ては企業や個人が痛い目にあい、頂点にあった金融機関や不動産業界は崩壊してしまった。」(井上明義「地価はまた下がる」)と言われます。

 バブル崩壊後には、日本全国で大量の不良債権(注5が発生しました。しかしながら、不況の中で、破綻した金融機関等への国費投入などの問題も伴い、回復(不良債権処理)は著しく長引くことになりました。

(注5) このとき発生した不良債権の総額については、「バブル崩壊(92年度)以降073月期までの15年間の不良債権処分損(全国銀行)は累計で97.8兆円にのぼる。不良債権はなお11.8兆円残っているから、バブル崩壊後15年間に存在した不良債権総額は合わせて109.6兆円であったということになる。」(西村吉正「不良債権処理政策の経緯と論点」http://www.esri.go.jp/jp/others/kanko_sbubble/analysis_04.html)とされています。

 バブル崩壊の前後ころから不動産競売の需要は高まりました。「不動産競売(新受)事件数」(その年に申立てのあった事件数)を見てみますと、民事執行法の運用が定着したと思われる1982年(昭和57年)以降は次のグラフのとおり推移しました。
 このグラフを見てどんなことに気付かれるでしょうか?筆者が持った印象をいくつか書き出してみます。
1)「やむを得ず」申し立てられる不動産競売にしては、29年間、毎年平均6.5万件という数字は「多い」(注6と思われます。

2)競売が増えたということから、任意売却(注7は相対的に減少したと推定できそうです。

3)強制競売(グラフの下方の緑線)は、バブル崩壊後は減少しました(注8。これは、担保権が実行されるケースが増加したことを示します(古くは、担保権は実行されないもの!だったのが、変わりました。)

4)29年間を通じて、最多件数は7.8万件、最少件数は4.1万件です。不動産競売件数は、この3.7万件の幅の中で緩やかに(年度差は大きくありません。)増減していますから、安定していると見ることができるのではないでしょうか。

5)1990年(平成2年)前後の件数の減少はバブル崩壊の影響と思われます。筆者は、2007年(平成19年)5.5万件、2010年(平成22年)5.1万件と減少したのも、景気(不動産価格)の予測が困難で申立てが躊躇われたと推測しています。

6)年間7万件以上の年は、バブル崩壊前は1985年(昭和60年)以降の3年間、バブル崩壊後は1998年(平成10年)以降の7年間です。7万件以上の年がいずれも連続していること、また、8万件を超える年は1年もないことは、注目されます。

(注6) 前掲の新設住宅数の同期間の平均は毎年130万ですから、不動産競売の申立て件数はその4.98%に当たります。的外れの対比かもしれませんが、この比率はやや高いように思われます。

(注7) 不動産を不動産競売手続によらないで売却して債務を返済する、いわゆる任意売却は、「回収額の極大化と債権の早期回収につながるわけであり、債権者にはメリットがあった。」「しかし、不動産価額の下落により、金融機関の価額査定(要回収額)と実際の売買(希望)価額の間に乖離が生じ、取引が成立しないケースが増加した。」(瀧波武前掲)と言われます。もっとも、任意売却の件数の統計はなく、推定するほかありません。

(注8) 全不動産競売事件中に占める強制競売の割合は、バブル崩壊前は2638%でしたが、バブル崩壊後は、1992年(平成2年)25%が最も高く、以降、年々低下しました。1998年(平成10年)は15%2008年(平成20年)は7%に低下しています。

 民事執行法によって生まれ変わった不動産競売制度は、バブルとその崩壊によって生じた大量の金銭債権の最終的回収手段として、最大限の機能を求められるようになりました。今や、金銭執行の時代、さらに強調して言えば「不動産競売の時代」が訪れていると言えるでしょう。最近数年間は申立てが減少しているようですが、金銭債権が存在し、その回収が求められる限り、不動産競売の時代は続くのではないでしょうか?(最近の不動産競売の売却状況については筆者の「不動産競売価格統計」http://sarematu.in.coocan.jp/をご参照ください。)

 ところで、「不動産競売の時代」の到来は、裁判所にとってひとつの大きな「試練」であったことを最後に付け加えておきます。

 不動産競売の申立ては1991年(平成3年)以降増加に転じましたが、裁判所の「努力にもかかわらず、事件数の急増とともに、一般の不動産市況の影響を受けて売却率が長期にわたって低迷しているため、なお多くの事件が売却未了の状態で裁判所に継続している状況にある。」(林道晴「不良債権処理のための民事執行法及び民事執行規則の改正について」判例タイムズNo.986と言われました。全国の不動産競売未済事件数は、1990年(平成2年)は59,009件でしたが、1997年(平成9年)には121,257件と倍増しました。
 しかしながら、1998年(平成10年)になると、国会でいわゆる資産流動化関係法、金融円滑化法、金融再生関連法などが成立し、不良債権の早期処理に向けての本格的取り組みが行われることになり、不動産競売手続に関しても1998年(平成10年)に(注9、その後も2003年(平成15年)(注10及び2004年(平成16年)(注11に法律改正が行われ、全国の裁判所で不動産競売事件の迅速処理に向けて様々な事務改善が行われました。

 その結果、未済事件は2000年(平成12年)には98,468件と10万件を切り、2003年(平成15年)以降も70,647件→63,507件→53,800件と毎年減少を続け、2006年(平成18年)には46,172件になりました。
 なお、入札を求めた物件のうち、実際に買い受けられた物件の割合を「売却率」と呼びますが、売却率は2002年(平成14年)は53.1%でしたが、次年度以降62.9%→70.3%→75.8%と上昇し、2006年(平成18年)には81.3%と実に8割を超えるようになりました(金融法務事情No1806「平成18年度における不動産競売事件の処理状況」)

(注9) 1998年(平成10年)第143回国会において「競売手続の円滑化等を図るための関係法律の整備に関する法律」及び「特定競売手続における現況調査及び評価等の特例に関する法律」が成立しました。このときから、執行官はライフラインに関する契約状況や固定資産税課税台帳添付の図面等を調査できるようになりました。

(注10) 2003年(平成15年)第156国会において「担保物権及び民事執行制度の改善のための民法等の一部を改正する法律」が成立しました。これは、担保不動産収益執行手続の創設、短期賃貸借の保護制度の廃止、保全処分の要件の緩和等、競売不動産の内覧制度の創設、裁判所による財産開示制度の創設などを内容としています。

(注11) 2004年(平成16年)には「民事関係手続の改善のための民事訴訟法等の一部を改正する法律」が成立しました。この改正によって、「最低売却価額」制度に代わって、「売却基準価額」及び「買受可能価額」の制度が発足しました。また、剰余を生ずる見込みがない場合の措置の合理化も図られました。


2012年3月3日土曜日

執行官ミニ歴史(5) 執行官送達


 「送達」とは、例えば訴状のような書類を相手(受送達者)に届けることです。送達はとても重要な手続で、例えば、訴状が相手(被告)に送達されなければ訴訟は開始できません。それだけに、届けた!いや、届いてない!と争いになる場合も少なくありません。

 日本では、送達は裁判所が行うことになっており(職権送達主義)、その事務は裁判所書記官(以下、単に「書記官」といいます。)が担当します。送達を実施する方法には、郵便を利用する方法(以下、「郵便送達」といいます。)、執行官に行わせる方法(以下、「執行官送達」といいます。)などがあり、書記官はその中から選択して送達の実施を依頼します。

 執行官が送達実施機関であることは執達吏時代から法律に明記され、ほとんどの教科書にも書かれています。送達は執行官に縁の深い仕事です。

 執行官の民事送達受理(新受)件数を見てみましょう。次のグラフのとおり、昭和45年には389,763件も受理していました。(今回は刑事送達(注1)については触れません。ご了承ください。)
 ところが、その後は減少の一途をたどり、平成13年には5,143件まで減少しました。平成14年以降の統計は不明ですが(筆者は資料を持ちません。ご了承ください。)、現在も少ないながら送達事件を受理しています。

(注1)刑事事件でも、送達は民事訴訟法の規定に従って行われます。参考までに、刑事事件の執行官送達受理(新受)件数は、昭和45年に約23万件でしたが、昭和59年には1万件を切り、昭和62年以降は全国で年間100件に達しません。なお、刑事送達は執行官手数料の対象にはなりません。

 現在の送達実務では、圧倒的に多くの場合、書記官は郵便送達を利用します。郵便事業会社が郵便法に従って郵便物を取り扱いますが(注2)、郵便法49条は、民事訴訟法に従った送達を行うため、「特別送達」と呼ばれる、郵便物の特殊取扱を定めていますので(注3)、書記官はこれを利用して、送達書類を特別送達郵便物として発送して郵便業務従事者に送達を実施してもらうのです。

(注2)郵便事業は、郵政改革後は、国(郵政省)に代わって郵便事業株式会社が行いますが(郵便法2条)、郵便物取扱いのシステムは郵政改革前と基本的には異なりません。特別送達も古くから存在する制度です。

(注3)郵便制度は、元々、利用者へのサービスですから、受領意思のない人は受取りを拒むことができるのが大原則です。ところが、訴訟を提起された人には応訴義務、ひいては訴訟書類受領義務がありますから、受領拒否ができない配達方法、具体的には、相手(受送達者等)が受領を拒否したときには民事訴訟法に従って差し置くこともできる配達方法を採らねばなりません。特別送達はこれを実現する特殊な配達制度です。
 なお、特別送達は書留郵便物について付加される特殊取扱であり、配達以外は書留(特殊取扱の一種)として扱われます。
 
 送達は強制執行ではありませんから(執行官といえども強制力は行使できません。)、書類を届ける制度として明治時代から整備されてきた郵便制度が利用されるのは極めて自然なことです。しかしながら、昭和45年には執行官送達は38万件も利用されていたのです。それが、その後急速に減少しました。これはいったい、どうしたのでしょうか?

 これには背景があります。変化のきっかけは執行官法でした。執行官法成立当時に話を戻してみましょう。

 執達吏、執行吏時代にも、会計などすべての仕事を一人で処理できるものではありませんから、「役場」が置かれ、職員が執達吏、執行吏を補佐していました。役場の規模は地域により様々であったと言われますが、昭和41年当時の東京執行吏役場は、執行吏が20数名、職員が85名という大規模な組織であったそうです(昭和4162日衆議院法務委員会)

 この当時は、執達吏、執行吏は、自己の責任で職務の執行を委任することができるとされ(執達吏規則第11条)、受任者が、裁判所の認可を受けた上、「代理」として仕事をしていたのが特徴的です。昭和41年当時の東京執行吏役場では、職員のうち35名が執行吏代理でした(昭和4167日衆議院法務委員会)。また、全国では、昭和413月末日現在、執行吏代理は245名いたと言われています(既述のとおり、執行吏は325名でした。)

 執行吏代理については、「厳しい強制執行はもっぱら執行吏代理がしていた」という指摘もあり、また、「執行吏役場運営の面でも重要な役割を果たしていた」(注4)と言われます。しかしながら、当時の送達事件数の多さを考えると、執行吏代理は「二百四十五名のうち、ただいまも百名余りはもっぱら送達をやっておるわけでございまして」(昭和41526日衆議院法務委員会菅野最高裁判所長官代理者答弁)と述べられているように、一般的には送達事務を担当することが多かったと思われます。大規模役場には、執行吏代理以外に送達事務を専門に処理する「送達代理」もいたようです。

(注4)東京執行吏役場の労働組合(昭和29年結成)委員長の、昭和4167日衆議院法務委員会での発言。「老齢化したところの執行吏を一面ではささえてきたといっても過言ではないと考えております。」との発言もあります。

 ところが、執行官法の制定に当たっては、執行官が割り当てられた事務を他に「委任」することはできない(公務員性強化)とされ、執行吏代理は廃止される方向に向かいました。
 昭和41510日衆議院法務委員会における政府委員説明では、「現行のいわゆる執行吏代理の制度につきましては、その弊害が各方面から指摘されていること及び今回の法律案の趣旨が執行官の公務員としての性格を強化することにあることにかんがみまして、このような制度を執行官については設けないことといたしました。」と説明されています。

 もっとも、前記政府委員は続けて、「ただ、現在相当数の、いわゆる執行吏代理が、執行吏のもとにあって臨時にその職務の委任を受けて稼働している現状にかんがみまして、いま直ちにこの事態を完全に消滅させることは困難と考えられますので、法律案附則第十一条におきまして、当分の間に限り、一定の資格のある者には、執行官において、所属地方裁判所の許可を受けて、臨時にその職務を代行させることができることといたしました。」と述べています。

 執行吏代理は廃止する。しかし、執行官法施行後も、当分の間、執行官代理として存続するということになったわけですが、では、送達事務はどうなるでしょうか?前記法務委員会では、執行官が送達事務を担当すること自体に疑問があるという意見もありましたが・・・

 この点については、「三年、四年の間に執行吏代理をなくすと申し上げましたけれども、それはいわゆる執行吏代理をなくすという意味でございまして、三年たった後におきましても、送達代理はその後しばらくまた残っていくのではなかろうかというふうに思っております。」(昭和41526日衆議院法務委員会菅野最高裁判所長官代理者答弁)と述べられています。執行官送達そのものを廃止する方向には向かわなかったのです。

 このようにして、執行吏代理は、初年度には17名が執行官になり、平成4年までに合計52名が執行官に吸収され、平成4年にはその数は9名に減少したと言われています(淺生重機(当時東京地方裁判所民事21部総括判事)「執行官制度の歴史と将来の展望」1992年(平成4年)3月民事執行実務No.22現在は、もちろん、執行官代理はいません。

 送達に携わる執行官代理(旧執行吏代理)が減少していけば、かつてのように送達事務を処理することができなくなるのは当然です。このような流れを受けて、送達事務に携わる書記官が郵便送達に傾斜していったことを、前掲の送達受理件数グラフは示しています。

 執行官が真価を発揮すべき事件はやはり強制執行事件なのですから、いつまでも、かつてのように年間60万件(民事刑事合計)もの送達事務を処理し続けることは好ましいことではありません。執行官送達の減少は、執行官制度のあり方から見ても、良いことであったと思います。

 ところで、現在も、執行官送達はなくなったわけではありません。執行官送達は今も求められて続けています。曝松公平も執行官時代に年間数件の送達を実施しました。

 どういう場合に執行官送達が求められるでしょうか?簡単に言うと、郵便送達がうまくいかないとき、特に、郵便送達が不能で返戻されてきたときの再送達方法としてです。執行官送達が郵便送達の補充的役割を期待されていることは間違いありません。

 送達は昔から書記官泣かせの事務でしたが、昭和57年の法律改正で「就業場所」という新しい送達場所も認められ、「民事訴訟関係書類の送達実務の研究(新訂)」という書記官実務研究報告書を読むと、送達実務の複雑・困難度は一層増しているように感じられますので、書記官の皆さんが執行官送達に期待をかけられるお気持ちはよく分かります。

 執行官は皆その期待に応えたいと思っているはずですが、これからの執行官送達については、曝松公平は、郵便送達制度の実務の現状を正しく評価し、理解した上で、真に、郵便送達の補充的役割を果たすよう活用が図られなければならないと考えています。

 いかに完成度の高い郵便送達制度といえども、高齢化とともに世帯細分化、孤立化が進む社会の変化に対応するには、いわば制度の隙間を埋める工夫が必要になります。送達に関しては、書記官と連携した執行官送達の在り方が問われると思います。・・・が、紙面が尽きましたので、この点は後日のブログのテーマとさせていただきます。

 今回は「送達」という、裁判所の内部事務とも言えるマニアックな?世界の話にお付き合いいただき、ありがとうございました。

2011年11月27日日曜日

執行官ミニ歴史(4) 強制執行の王様、動産執行



 動産執行は主要3事件のうちでも最も受理件数の多い事件で、41年間を通算して、毎年、平均163,500件もの申立てがあります。強制執行と言えば動産執行を思い浮かべる人が多いと思います。動産執行は強制執行の王様と言えます。

 受理件数は次のグラフのとおり推移しています(この件数には担保権実行である「動産競売」を含みます。)


 民事執行法が施行された1980年(昭和55年)ころから急激に増加し、バブルとともに増加を続け、ピークの1987年(昭和62年)には311,872件を記録しました。しかしながら、その後は減少しています。1998年(平成10年)ころにほぼ平均レベルまで減少して、その後もさらに減少を続け2009年(平成21年)には68,705件と41年間で最も減少しました。

 動産執行は「家財道具等の差押え」手続という方が分かりやすいかもしれません。金銭の支払い義務を認めた判決等を裁判所に持って行き「執行文」を付けてもらい、執行官室で申立てをすると、執行官が債務者の家などに行き、そこにある家財道具等の動産を差し押さえ、売却して、その代金から債務が支払われる強制執行です。

 申立ては比較的容易ですが、執行官にとっては、単独で(注1)、事件毎に違う状況下で、それぞれの債務者と対応し、差し押さえるかどうかを判断しなければならない難しい事件です。

(注1) 執行官は「独任官」と言われ、一人で執行機関を構成します。複数の人が担当するのでは、迅速に責任ある判断をすることができないからです。民事執行法は、強制執行を行う執行機関は裁判所に一元化すべきだという意見も強かったそうですが、執行官も執行機関とする二元的な構成を維持しています。

 強制執行を行う執行官は大きな権限を行使しますが、それに応じて、「正義」に従う(注2)義務と責任とを負っています。単に法規を遵守するだけではありません。しかも、その義務と責任は、「執行が終わると元には戻せない(時間は戻せない!)」という厳然たる事実(注3)の下に存在していますから、消耗する精神力は並み大抵ではありません。鍵を開ける、差し押えるなどの判断には「決断」に近い精神力を要しますが、執行官はそれ以上の精神力で「なにが正義か」を自分に問い続けます。執行が終わった後にも、問い掛けは続き、累積、拡大していきます(注4)
 執行官法施行当時から、執行官は、以上のように精神的に「消耗」する判断を行ってきたはずですが、このことは外部からはなかなか分かり難いようです。

(注2) 正義とは「同じものは同じに、違うものは違うように」処理することにほかなりませんが、その判断がときには大変困難なことがあります。

(注3) 執行官の行う強制執行は「事実行為」です。したがって、執行官の処分に不服がある人は、裁判所に執行官の処分を取り消してもらうよう「異議申立て」をすることもできますが、すべてが終わってしまった後では意味がありません。また、法律上、訴訟(いわゆる国家賠償訴訟)を起こすことができますが、これは、執行終了後に損害がある場合に、それを金銭で回復する制度です。強制執行をなかったことにする(時間を戻す)のは至難です。

(注4) 万一、自分の判断に疑いを抱くような事態に至れば、心理のメカニズム(防衛機制)によって自我を守ることができない過酷な状況に追い込まれます。中にはそのために執行官を辞める人も出てきます。・・・囲碁や将棋の棋士は終局後「検討」をして自分の敗因を徹底的に調べるそうですが、この検討はときどき凄まじいものになると聞きます。それに似ているかもしれません。執行官もまた、自己の正義判断に職を賭しています。

 動産執行については「債務者の生活に欠くことができない」動産は差押えてはならない旨の法律の規定があります(民事執行法131条参照)。差押えを行うことを職責とする執行官に対し、債務者の生存を維持するために制約を課したものです(建物明渡にはこのような規定がありません。)。この差押禁止物についての執行官の判断は、外部からは特に分かり難いようです。執行官制度の根本にかかわるところですので、少し長くなりますが、1980年(昭和55年)1030日参議院法務委員会で行われた質疑応答の一部をご紹介します。

寺田熊雄議員 その実施状況を見てみますと、かなり混乱があるように思われますのは、私が直接聞知しましたのは、百二十一条の「(差押禁止動産)」、第一号の「債務者等の生活に欠くことができない衣服、寝具、家具、台所用具、畳及び建具」、この債務者の生活に欠くことのできない家具というものの範囲、これをどの程度にするかということがいまのところは執行官の裁量に任されている。そこで、執行官によりましては、たとえばテレビであるとか電気洗たく機であるとか、あるいは冷蔵庫であるとか、こういうようなものはもう非常にポピュラーなものでわれわれの近代生活にとっては欠くことのできない家具である、そういう認定をしておる執行官もあるわけです。したがって、現実に執行官がその場所に行きまして、そういうものは差し押さえはできないと。そうすると、あと差し押さえるようなものはほとんど事実上はない。台所用具であるとか布団であるとか、あるいは衣服であるとかいうものばかりで、差し押さえ執行不能ということで帰ってくる。ところが、執行官によっては、いやいや必ずしも電気洗たく機、冷蔵庫、テレビなんかなくたって構わない、生活ができるということで、快適な市民生活というものの範囲がどの程度のものであっていいか、どの程度のレベル以上でなければならないかというようなことで、執行官のいわば人生観というか世界観というか、そういうもので案外差異ができてくる。
最高裁判所長官代理者(西山俊彦) ただいま御指摘の民事執行法の百三十一条の一号に掲げてあります規定は、実は、これは改正前の旧民事訴訟法の五百七十条の一項一号と実質的には変わることがない規定になっておりまして、この規定の解釈といたしましては、新法と旧法とで異なっておらないというふうに考えておりますし、私どもの現在見ておりますところでは、運用上混乱を生じているというふうには実は認識しておらないわけでございます。
 私どもといたしましては、この差し押さえ――生活に欠くべからざるものであるかどうかというふうなことの基準をどういうふうにして考えるかという場合に、その当時の一般人の生活水準を考えて決めるか、それとも最低の生活水準を考えて決めるかということで、委員御指摘のような差が出てくることはこれはもう当然のことと存じますが、私どもが執行官に指導しておりますところでは、一応一般人の生活水準をも考えた上で、個々の具体的な事情に応じ、すなわち、債務者等の生活状況を加味して適宜修正を加えていくべきものであるということで指導しておるわけでございます。

 執行官によって取り扱いが違うと言われないようにするために、執行官室の中には、差押禁止物の取扱について「内規」(執行官相互の「合意」と言うべきでしょうか。)を作成したところもあるようですが、いくら内規を作ってみても問題が本質的に解決されるわけではありません。執行官自身がなにが正義かを自覚しない限り解決ではないからです。

 このように誤解を受けやすい動産執行事件を、執行官は1987年(昭和62年)には、453人で年間31万件も処理して(1人当たり年間688件)、社会の要請に応えていました。1982年(昭和57年)から1997年(平成9年)まで16年間の合計受理件数は111万件を超えます(毎年約7万件)。

 この頃、執行官は積極的に差押えを行っていたと聞きます。差押えた動産を買う業者もいたので、実際に売却も行われました。小川潤平「執行官物語」2001年(平成13年)11月文芸社発行)は、1991年(平成3年)から1997年(平成9年)まで執行官として勤務した経験に基づいて書かれており、その当時の動産執行の雰囲気が生々しくうかがわれます。(ただ、現在とは違うことも含まれていますから、お読みになるときはご留意ください。)

 しかしながら、1998年(平成10年)ころ以降、動産執行は急激に減少します。減少したのは、執行官が差押えができないケース(執行不能)が増えたことが原因と考えられます。動産執行は「約90%が不能で終わっているという状況」と言われています(2011年(平成23年)発行の「新民事執行実務」No.9の座談会の中での発言)。
 差押禁止物が昔に比べて増えていることもありますが(個人の現金は、現在、66万円までは差押禁止です。)、中古品の価値が低下し「売れる見込み」がなくなってきたことも、差押えの障害になっています。なお、最近は、かつて多かった信販会社やクレジット会社などの申立てが減少したことも指摘しておかねばならないでしょう。

 けれども、減少したと言っても、2010年(平成22年)に72,831件もの申立てがあることは忘れてはなりません。差し押える物があり、その経済的価値がある以上、動産執行による債権回収は可能です。曝松公平は、2003年(平成15年)から2009年(平成21年)までの間に、バイク、軽自動車などを差し押さえ、実際に売却しました(軽自動車は動産執行の対象になります。)。「強制執行の王様」動産執行は、まだまだ機能する制度ですから、債権者は簡単に諦めるべきではありません。

2011年11月26日土曜日

執行官ミニ歴史(3) 執行官受理事件数の変動と経済状況


 国(裁判所)は、国民の私的法律関係には介入しないのが原則です。利用者の求めがない限り、裁判所は民事訴訟を開始しませんし、執行官も執行には行きません。執行官の仕事は、利用者次第で、毎年増えたり減ったりします。

 執行官の主要3事件の年間受理件数はどのように変化してきたでしょうか?1970年(昭和45年)から2010年(平成22年)まで41年間について見てみましょう。(それ以前のデータは持ちません。ご了承ください。)

 次のグラフは、主要3事件の年間受理件数の41年間の平均をとり、各年の各事件の増減(割合)を調べたものです。(各事件とも、平均以上は0%より上に、平均以下は0%より下に表示されています。)
 このグラフで、平均以上の年は事件によって違い、動産執行は1984年(昭和59年)から1997年(平成9年)まで16年間、建物明渡は1996年(平成8年)以降15年間、現況調査は1984年(昭和59年)以降19年間(途中4年間は0%未満)であることが分かります。

 次のグラフは、件数の変化を見るために、前回掲げた主要3事件の41年間の総合計件数グラフを、バブル崩壊を1991年(平成3年)として、前後2つに分けてみたものです。


 受理件数は毎年変化していますが、長期的に見ると、大河のように緩やかに変化しているようです。この動きは、経済の動きを反映すると思われます。

 ここで、以下、簡単に、執行官法施行後の日本経済の動きを振り返ってみましょう。

 執行官法が成立して10年経たない間に金本位制、固定相場制は失われ(主要国が1973年(昭和48年)に変動相場制に移行)、日米の経済不均衡を是正するため、1985年(昭和60年)のG5で為替相場の調整を約する「プラザ合意」(注)が結ばれました。これは、この後日本にバブルとその崩壊を招き、その後も長い間為替の調整に追われる状況を招いた原因と言われます。

(注)プラザ合意の1年後には1ドル150円台の円高ドル安になったそうです。

 背景には「貿易黒字」がありました。日本の貿易黒字状況をインターネットで調べたところ、「超長期貿易収支推移」と題する記事(小澤徹3rdworldman's Blog)が見つかりました。そのグラフを引用させていただきますと、次のとおりです。

 1971年(昭和46年)の日本の貿易黒字は77億8700万ドルと前年のほぼ2倍に急増したと言われますが(日経平均プロフィル「ニクソンショックから過剰流動性相場へ」)、プラザ合意の頃の黒字額はそんなレベルではなく、その後の貿易黒字にも今更ながら驚かざるを得ません。

 貿易黒字で生まれた遊休資金は、日本国内で、株と土地に流れました。
 戦後の地価の高騰、すなわち土地バブルは2回あったと言われます(井上明義著「地価はまた下がる」(PHP研究所発行))。最初は、1971年(昭和46年)から1986年(昭和61年)まで地価の高騰が続いた「列島改造バブル」であり、次いで、1987年(昭和62年)から1991年(平成3年)まで著しい地価の高騰が見られた「不動産金融バブル」です。
 不動産金融バブルは、金融機関が資金運用難という未経験の局面を迎えて、自ら積極的に個人に対して住宅ローン融資等を行うようになって起きた「金融バブル」であり、その最盛期にとられた金融緩和政策のために地価が下落し、崩壊したと指摘されています。崩壊後に金融機関が多額の「不良債権」を抱えることになり、その処理が大きな問題となったのが特徴です。

 バブル崩壊後の経済状況を、衣川恵「新訂日本のバブル」日本経済評論社刊215頁以下は「平成不況」と呼び、「平成不況は、通常の不況とは大きく異なり、平成恐慌を内包した長波の大不況である」とし、次のように述べています。(以下、( )内和暦は曝松が挿入しました。)
 1991年(平成3年)~96年(平成8年)は、「1990年(平成2年)から始まる株価の暴落と91年(平成3年)から始まる地価の暴落の影響を受けた景気後退の時期」であり、「1997年(平成9年)から98年(平成10年)は平成金融恐慌となり、その影響を受けて98年(平成10年)から99年(平成11年)は平成恐慌となった。」としています。その後、「2000年(平成12年)から09年(平成21年)第一四半期現在の期間は、04年(平成16年)から07年(平成19年)までの2%前後の景気回復傾向を実現しながらも、好況局面を迎えることなく、08年(平成20年)に再びマイナス成長に戻って不況が続き09年(平成21年)にはさらに厳しい景況となった。」としています。

 執行官法施行後44年の間、執行官は「主要3事件」を処理してきたと言えますが、以上のような経済状況の変化を背景として、3事件のうちでは動産執行が少なくなり、現況調査(と建物明渡)が増えるという大きな変化が生じました。

2011年11月22日火曜日

執行官ミニ歴史(2) 執行官法成立当時の執行官の日常業務


 執行官法が成立したのは、日本が戦後の復興を遂げ、GNPが戦前を超え「もはや戦後ではない」と言われてから1956年(昭和31年)の経済白書)10年後のことでした。国民生活も豊かになって、冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビが「三種の神器」と言われるようになった「高度成長期」は、1954年(昭和29年)から1973年(昭和48年)まで約20年間と言われます。その真っ只中で成立したことになります。

 この当時の執行官(旧執行吏)は1966年(昭和41年)3月末現在325人とされています(当時の国会答弁)。戦争直後328人でしたが、昭和35年まで増加したもののその後は毎年20数名退職するのを補充できなかったそうです。困難な仕事なのに処遇、待遇が十分でないため、希望者が少なかったと言われています。

 執行官法施行に伴い、これらの執行官を各裁判所は自分の庁舎内に受け入れましたが、当初は10程度は部屋が間に合わず机だけ入れたところもあったそうです。その後も、裁判所は、①執行官室の執務環境の整備1091年(昭和56年)までに執行官室の机、椅子、金庫などの必需品が整備された。)、②執行事務の地方裁判所への取り込み(会計事務など)、③執行官の資質能力の向上(執行吏代理の縮小など)、④手数料収入の合理化(プール制の採用など)などに努めたとされています(淺生重機(当時東京地方裁判所民事21部総括判事)「執行官制度の歴史と将来の展望」1992年(平成4年)3月民事執行実務No.22)。
 このような執行官制度の基盤強化は、「執行官の行なう民事裁判の執行その他の事務の運営を適正円滑化するため」(当時の参議院法務委員会説明)に行われました。

 では、執行官法施行当時、執行官はどんな仕事をしていたでしょうか?

 「執行官が取り扱うべきものとされている事務は、広範多岐にわたるが、(1)動産に対する執行、(2)不動産の引渡・明渡執行、(3)現況調査報告、(4)裁判所の発する文書等の送達が、執行官が日常処理する事務の主要なものといえるであろう。」(岡田潤(当時、裁判所書記官研修所長)「現況調査の実務」1985年(昭和60年)発行「執行官雑誌」No.16)とされています。
 執行官法施行当時も、執行官が日常的に処理する事務はこのとおりであったと考えて差し支えないと思います。

 執行官法施行当時は「現況調査はなかったはずだ」と言われるかもしれません。確かに、「現況調査」は1979年(昭和54年)に成立した民事執行法によって生まれた事務です。しかし、実は、民事執行法以前にも「賃貸借取調べ」と呼ばれる不動産調査を執行官は行っていました。債権者の申立てによって裁判所が個別に執行官に命じていた事務であり、現況調査のような法定の業務ではありませんが、1970年(昭和45年)にも24,404件受理しており、無視できません。この不動産調査は現況調査に匹敵すると考えることができます。

 では、現在はどうでしょうか。
 現在は、「(4)裁判所の発する文書等の送達」は日常的な事務とは言えません。送達事務は、1970年(昭和45年)には約62万件受理していましたが、1983年(昭和58年)には10万件を切り、その後急激に減少しました。仕事の性質も強制執行とは違いますから、現在は執行官の主要業務とは考えない方がよいでしょう。それ以外の3つの事務は、現在でも、執行官の主要事務と言えます。

 以下、前記岡田論文の(1)(2)(3)の3つの事務(注1)を順に「動産執行」(注2)「建物明渡」(注3)「現況調査」(注4)と呼ぶこととし、これらを「主要3事件」と呼ぶことにしますと、執行官法施行当時、執行官はこれらの事件をどのくらい受理していたでしょうか?

(注1)裁判所の「事務」は、「事件」と言い換えることができます。事件は、法律の手続上ひとまとまりの「案件」という意味とお考えください。
(注2)「動産執行」には担保権実行である「動産競売」事件を含みます。
(注3)「建物明渡」は、最高裁の統計上は「不動産等の引渡し」となっています。なお、これには不動産競売の「引渡命令の執行」事件を含みます。
(注4)「現況調査」には、「不動産評価」を含むほか、民事執行法以前の「不動産調査」を含みます。

 主要3事件の1970年(昭和45年)の受理件数(注5)は次のグラフのとおりです。執行官法施行直後のデータが筆者の手元にありませんので確実には言えませんが、執行官法施行当初の執行官も同様であっただろうと思われます。動産執行と送達(前述)に明け暮れる毎日だったのではないでしょうか。


(注5)執行官の事件数は最高裁ホームページで見ることができますが、過去の事件数については「執行官雑誌」や「民事執行実務」などの刊行物から取得しました。

 なお、ご参考までに、2010年(平成22年)の受理件数のグラフをお示ししておきます。動産執行が減り、建物明渡と現況調査が著しく増えています。40年後には、こんなに大きく変わりました。


 ここで、ついでに、1970年(昭和45年)から2010年(平成22年)まで41年間の主要3事件の合計受理件数を見ておきましょう。執行官の44年の歴史を通じた「執行官の仕事」の概要が分かると思います。
 次のグラフのとおり、執行官は主要3事件を、動産執行71%、建物明渡7%、現況調査22%という割合で受理して、仕事をしてきました。