2012年9月19日水曜日

執行官ミニ歴史(7) 「扇の要」現況調査


 不動産競売制度は、1890年(明治23年)の旧民事訴訟法から90年を経て、民事執行法によって生まれ変わり(注1、バブル経済の破綻(注2を契機に、債権回収手続としての実効性が求められる「不動産競売の時代」を迎えました。

(注1) 民事執行法は既存の制度を維持しながら改善を図る法律であり、「改正」と位置付けられます(田中康久著「新民事執行法の解説」参照)。

(注2) 筆者は、豊田商事事件等が世間を騒がせ(1985年(昭和60年)には豊田商事会長刺殺事件が起きました。)、裁判所で個人自己破産・免責という破産手続の画期的な運用が開始された1983年(昭和58年)は、バブルの綻びが巨大な姿を見せ始めた年であったと考えています。

 「不動産競売の時代」の制度の運用状況は、おおまかにほぼ10年刻みで3期に分かれると考えてよいようです。Ⅰ期はバブル崩壊まで、Ⅱ期はバブル崩壊後のいわゆる「失われた10年」、そして、Ⅲ期が1998年(平成10年)以降です。

 期は、強制競売が3~4割を占めること(前回参照)、申立て件数に対して現況調査命令の発令件数が少ないこと(注3などから、債権者側にも準備不足が窺われると思います。
 ところが期に入ると、債権者側も競売を積極的に進めざるを得なくなり(注4、反面、競売妨害(注5も多発しました。申立ては年々増加しましたが、事件処理は遅延し滞りました。
 そして期は、不良債権の早期処理に国を挙げて取り組むようになり、裁判所における事件処理も大幅に改善されました。

(注3) 裁判所は申立てに対して開始決定をして、法務局に差押登記の嘱託をし、その完了後に執行官に現況調査命令を発令します。下のグラフは、不動産競売申立て件数(平成16年以降、担保収益執行を含む。)と執行官の現況調査受理件数とを年度ごとに対比したグラフです。
 29年間通算で、申立て件数1875,166件に対し、現況調査件数は1745,913件と約13万件少なく、このうちの8割に当たる約10万件は前半(1996年(平成8年)まで)に集中しています。グラフでも、左側ほど両件数の乖離が大きいことが分かります。これは、手続の開始段階でスムーズに進まなかったことを示すと思われます。

(注4) 山田齊「占有妨害排除の理論と実務(新訂増補版)」は、銀行は積極的に債権回収を進めたが、1993年(平成5年)に銀行の副頭取が、翌年には銀行の支店長が暴力団員に射殺されるという事件があり、「この直後から、銀行が債権回収を諦めるようになった」と指摘しています。なお、いわゆる「金融サービサー法」が制定されたのは1998年(平成10年)、整理回収機構が設立されたのは1999年(平成11年)です。

(注5) 山田前掲は、不良債権問題に「暴力団が資金獲得策として関わっている事例が多い」とし、抵当物件や落札した競売物件を暴力団などが占拠する執行妨害を「占有妨害」と呼んでいます。なお、1993年(平成5年)には、いわゆる暴力団対策法(平成3年公布、平成4年施行)が一部改正され、暴力団員が土地等を占拠することや、土地等の支配を誇示することにより明渡料等の要求をすることなどが禁止されました(同法912号)。

 このように、30年の間に、不動産競売制度の運用状況は大きく変化し、債権回収の実効性は飛躍的に高まりました。・・・その推進のために、執行官は重要な役割を果たしたと言えるでしょう。
 裁判所が「物件明細書」を作成して、「さしあたり最も確度の高い情報資料」(注6を提供するという、民事執行法が導入した画期的なシステムの「扇の要」(注7と言われるのが、執行官の担当する「現況調査」にほかならないからです。

(注6) 中野貞一郎「民事執行法(新訂4版)」412

(注7) 執行官研修における講演で、「的確な現況調査報告書が基礎になって、正確な物件明細書なり評価書なりの作成ができるという関係にある」とされ、現況調査は「扇の要」であると言われました(南新吾(当時東京地方裁判所判事)「現況調査における法律関係」(昭和56年執行官雑誌No.12)。

 執行官の現況調査受理件数を見てみましょう。民事執行法以前の「賃貸借取調べ」も合算した、1970年(昭和45年)以降の受理件数は、次のグラフのとおりです。
【グラフ説明】このグラフの件数は1979年(昭和54年)以前は賃貸借取調べのみ、1983年(昭和58年)以降は現況調査のみです。その中間は両者が混在しています。 

 受理件数は右肩上がりで増加しています。特に年間7万件を超えた1998年(平成10年)以降7年間は、動産執行事件も減少しましたから、執行官は、連日、現況調査事務に追われる毎日だったと思われます。
 かつて、執行官法施行当時の執行官が動産執行と送達に明け暮れていたのとは隔世の感があります。現況調査事務は「執行官制度の将来を占う」(浦野雄幸昭和60年「実務民事執行-運用上の問題点と判例-」)と言われたことが思い出されます。

 しかしながら、現況調査事務は、動産執行などとは全く異質の事務で、独特の難しさがあります。執行官室によっては、執行官を強制執行班と現況調査班とに分けているところもあります。1人で両事務を担当すると、強制執行と現況調査で頭を切り替えるのに意外に苦労するものです。

 では、現況調査とはいったいどんな仕事で、執行官はどういうところに難しさを感じているでしょうか?(現況調査報告書をお読みいただくときのご参考になれば・・・と思い、私見を記します。)

 現況調査の調査事項は、法律には、「不動産の形状、占有関係その他の現況」(民事執行法571項)と簡潔に定められています。これを細目に具体化したものが「現況調査報告書の記載事項」(民事執行規則29条)です(注8
 羅列されている報告事項を一言でまとめますと、競売対象の「土地」又は「建物」について各別に(注9、「物的状況」と「占有関係」とを調査するということになります。

(注8) 現況調査報告書記載事項
一 事件の表示
 二 不動産の表示
 三 調査の日時、場所及び方法
 四 調査の目的物が土地であるときは、次に掲げる事項
  イ 土地の形状及び現況地目
  ロ 占有者の表示及び占有の状況
  ハ 占有者が債務者以外の者であるときは、その者の占有の開始時期、権原の有無及び権原の内容の細目についての関係人の陳述又は関係人の提示に係る文書の要旨及び執行官の意見
  ニ 土地に建物が存するときは、その建物の種類、構造、床面積の概略及び所有者の表示
 五 調査の目的物が建物であるときは、次に掲げる事項
  イ 建物の種類、構造及び床面積の概略
  ロ 前号ロ及びハに掲げる事項
  ハ 敷地の所有者の表示
  ニ 敷地の所有者が債務者以外の者であるときは、債務者の敷地に対する占有の権原の有無及び権原の内容の細目についての関係人の陳述又は関係人の提示に係る文書の要旨及び執行官の意見
 六 当該不動産について、債務者の占有を解いて執行官に保管させる仮処分が執行されているときは、その旨及び執行官が保管を開始した年月日
 七 その他執行裁判所が定めた事項

(注9) 「土地」と「建物」が四号と五号に別々に規定されているのは、日本民法が明治以来、土地と建物を別個独立の不動産としているためです。しかし、建物だけが競売される場合にも、敷地利用権は調査しなければなりません(法律的に別個独立の土地、建物も、物理的には同一空間に存在しているからです。)。なお、建物だけの競売をめぐっては、評価上の問題もあるようです(全国競売評価ネットワークの不競売評価における「場所的利益」の考え方と評価参照)。

 もっとも、土地も建物も世界にひとつしかない存在ですから、調査で重点を置くべき事項は事件によってそれぞれ違います。執行官は白紙で調査に臨み(予断は禁物です。)、調査開始とともに自力で重点事項を見出しながら調査を進めます。1歩ずつ足を運んでゆく「山登り」のような調査であり、決して単調な機械的な調査ではありません。

 調査方法は、必要な場合には強制的に「開錠」して不動産に「立ち入る」こともしますが、通常は、不動産の占有者等に「質問」したり「文書提示」を求める方法により行います(注10

(注10) 民事執行法572項以下は、現況調査における執行官の調査権限(相手方に協力義務があります。)を次のように規定しています。なお、4,5項は平成10年改正で追加されました。
 執行官は、前項の調査をするに際し、不動産に立ち入り、又は債務者若しくはその不動産を占有する第三者に対し、質問をし、若しくは文書の提示を求めることができる。
 執行官は、前項の規定により不動産に立ち入る場合において、必要があるときは、閉鎖した戸を開くため必要な処分をすることができる。
 執行官は、第一項の調査のため必要がある場合には、市町村(特別区の存する区域にあつては、都)に対し、不動産(不動産が土地である場合にはその上にある建物を、不動産が建物である場合にはその敷地を含む。)に対して課される固定資産税に関して保有する図面その他の資料の写しの交付を請求することができる。
 執行官は、前項に規定する場合には、電気、ガス又は水道水の供給その他これらに類する継続的給付を行う公益事業を営む法人に対し、必要な事項の報告を求めることができる。
 刑事事件とは違い、そもそも個人の自由意思で形成される私法関係を調査するのですから、これ以上に強制的な方法は意味がありません。なお、任意調査は適宜の方法を採って差し支えないとされています(執行官提要)。

 現況調査は、実際には、どのように進められるでしょうか?事務の流れに沿って見てみましょう。

 目的物件を特定しなければ現況調査は始まりません。この特定作業は既に「物的状況の調査」にほかなりません。
 すなわち、現況調査命令を受けた執行官は、最初にまず法務局(登記所)に行き、備え付けられている「地図」や「建物図面」を入手します(注11。そして、これらを資料として、現地に赴き、位置、形状等を確認します。(初回調査では建物内への立入調査はしないことが多いのが実情です。)現地で確認することによって、目的物件を特定すると同時に、物的状況の概要を調査しているわけです。

(注11) 登記記録は、例えば、土地の「表題部」(不動産登記法12条)には、①土地の所在する市、区、郡、町、村及び字②地番③地目④地積が記載されていますが(同法34条)、これだけでは位置や形状は分からず、現地に行くこともできません。
 位置、形状を明らかにするために、不動産登記法14条は、登記所に「地図及び建物所在図」(1項)又は「地図に準ずる図面」(4項)を備え付けることにしています。
 後者の代表は、元々、旧土地台帳法所定の「土地台帳付属地図」であったいわゆる「公図」です。昭和25年に台帳事務が税務署から移るとともに法務局に移管されましたが、1960年(昭和35年)の不動産登記法改正で、土地台帳、家屋台帳が廃止され、登記制度の一元化が図られた後にも(一元化作業の完了は1971年(昭和46年))、公図はなお重要な役割を担っています。

 物的状況の本格的な調査は、目的物件内に立ち入らなければできません(立入調査をする場合には、あらかじめ占有者に通知をして、協力を求めることが多いと思います。)。但し、本格的調査といっても、執行官は自ら測量等を行うわけではありません。前述の地図等と照らし合わせて、違うところは違うと指摘して現況を明らかにする調査と理解していただければよいと思います。もっとも、開錠して立ち入っても、関係者の話を聞けないと調査が進まないこともあります。

 対象物件が特定できたら、「占有関係の調査」も開始します。この調査は、物件明細書に記載されるべき権利ないし法律関係(注12が存在するかどうかを調査するもので、不動産競売の核心部分の調査です。

(注12) 物件明細書には、①不動産の表示、②不動産に係る権利の取得及び仮処分の執行で売却によりその効力を失わないもの、③売却により設定されたものとみなされる地上権の概要(以上が民事執行法62条の必要的記載事項)、④その他の事項(任意的記載事項)が記載されます。(BITの用語集参照)

 権利ないし法律関係の調査では、執行官は事実(権利の基になる事実、すなわち訴訟でいう「要件事実」)の存否を調査し、判断します。
 執行官は「いわば裁判官が訴訟の判決をするに際して、いろんな証拠から事実を認定するのと似たような作業をすることになります。」(前掲南)が、執行官の意見形成には、訴訟における主張責任や立証責任といったルールはありませんから(注13、「健全な常識を働かせて、事案を全体的に観察して落ち着くべきところと思われるところを意見を出してもらう」ほかはないと言われます(前掲南)。つまり、執行官の権利ないし法律関係についての調査は、「常識に従って」「真実を発見する」調査です。

(注13) 訴訟なら原告、被告という対立当事者がいて、互いに主張、立証を尽くして結論が出されますが、現況調査は対立当事者構造を採りませんから、執行官は、主張しなかった事実は存在しないものとして扱う(訴訟でいう「主張責任」)とか、立証されなかった事実は認めない(訴訟でいう「立証責任」)というような判断ルールによらないで、いわば刑事事件の捜査のように、自分で問題点を見つけて判断していかなければなりません。

 以上のとおり、現況調査では、執行官は、その不動産に関する①取引上重要な(問題)点を自ら見出して、②適切な相手に対して、③質問等を行い、物的状況と占有状況について「真実発見」を目指します。執行官の裁量の比重が高い調査ですが、執行官には「注意義務」があり(不注意で関係者に損害を与えたときには損害賠償義務が生じます。)、十分注意を払って真実発見に努めなければなりません。

 その一方で、現況調査命令には「報告期限」が付けられています。現況調査は「差押えの効力が発生する時(差押えの登記時)に最も近い時点での占有状況を調査しなければならない。これが遅れると、執行妨害を容易にし、その真実発見を困難にする恐れがあるからである。」(佐藤歳二(当時東京地方裁判所判事)「執行官の職務行為における諸問題」執行官雑誌NO.18とされ、真実発見のためにも、迅速な調査が求められます。

 ところで、BITの「物件明細書」の説明には、次のような件(くだり)があります。これは、現況調査によっても真実が発見できない場合があるという注意書きにほかなりません。
「物件明細書は、裁判所書記官が記録上表れている事実等とそれに基づく認識を記載したものにすぎず、当事者の権利関係を確定するものではなく、権利関係に関する裁判を拘束するものでもありません。したがって、新たな事実の発生・発覚等によって権利関係が変わることもあり、また、物件の状態が変わることもあり得ます。そのため、入札を検討される場合には、必ず、御自身でも直接現地を見に行くなど十分な調査・確認を行うようにしてください。」

 現況調査では「不明」とする報告も認められますが(前述参照)、いかに迅速処理を求められても、執行官としては簡単に真実追求を諦めるわけにはいきません。けれども、完全、完璧を目指して「終わりのない」調査を延々と続けたのでは、調査の意義は失われ、競売手続は無能化します。したがって、執行官はどこかの時点で「調査終了」という判断をしなければなりません。・・・筆者は、この「調査終了の判断」(以下「終了判断」と言います。)こそ、現況調査で最も難しい問題であろうと考えます。

 終了判断を行うに際し、報告期限はひとつの目安になりますが、決定的根拠にはなりません(注14。終了判断は、あくまで調査の内容面から考え、これ以上調査を行っても意味がないという場合に行うべきです。
 しかしながら、今後の調査の意味があるか、ないかと問われれば、ほとんどの場合、「ある」とも「ない」とも言い難いのが実際です(注15。今後の調査の進展を予測するのは極めて困難です。したがってまた、終了判断は常にリスクを伴うことになります。
 すなわち、真実発見の可能性がないと判断して報告書を提出した場合、後日、問題が発見されたときには、執行官は注意義務を尽くしたかと問われることになりますし、他方、真実発見の可能性があると判断して裁判所に報告期限を延期してもらった場合にも、結果的に何も判明しなければ、後日、報告遅延と指摘されかねません。

(注14) 報告期限は事案の難易度に関わらず一律に定められますから、「その事件」で終了判断を行う理由とすることはできません。

(注15) 例えば、回答書を提出すると約束していた人も、約束を守れないことが少なくありません。約束した以上は、常識的には約束の期限まで「終了判断」は待つべきでしょうが、妨害的な関係者による口約束をいつまで待つのかは微妙です。また、妨害者の回答については、その契約関係の真偽の判断にも悩まされます。実に様々なケースがあり、執行官が調査結果を予測することは極めて困難です。

 また、ひとたび終了判断を行えば、二度と調査をすることはありませんから(裁判所から命ぜられて追加調査や補充調査を行うことは別論です。)、真実発見の機会は二度と訪れないと考えなければなりません。
 このように、終了判断は、執行官にとっては決断を要する、難しい判断です。・・・その難しい判断を、執行官は30年前から延々と行ってきました。終了判断が適切かどうかは、現況調査ひいては不動産競売制度の「質」を決定する問題であろうと筆者は考えています。

2012年6月28日木曜日

執行官ミニ歴史(6) 「不動産競売の時代」の到来



 不動産競売は明治時代から存在する、金銭債権の回収のための手続です。不動産競売には、現在も、「強制競売」と「担保競売」の2種類がありますが、強制競売は強制執行として行われる本来型、担保競売は抵当権などの担保権実行として行われる簡易型と思っていただければよいでしょうか。(注1
 いずれの不動産競売も、手続は、裁判所が執行機関となって、不動産を(1)差押え、(2)換価(売却)し、(3)売却代金を配当するという流れで進みます。執行官はこのうち、売却(開札)事務だけを担当するという時代が、長く続きました。

(注1) 強制競売は判決等の「債務名義」を根拠とする強制執行手続で、明治23年に旧民事訴訟法に規定されていました。他方、担保競売は抵当権設定契約などの「合意」を根拠とする手続で、明治31年の競売法に規定されていました。現在は両者とも民事執行法に規定されていますが、裁判所の事件符号は、現在もなお、強制競売は「ヌ」、担保競売は「ケ」と区別されています。

 不動産競売制度の歴史は長いですが、実は、昭和50年代ころまではあまり利用されませんでした。

 1959年(昭和34年)以降の新設住宅戸数は次のグラフのとおりです。執行官法成立の2年後、1968年(昭和43年)には住宅総数が世帯総数を超えましたが、新設住宅数はその後も1972年(昭和47年)まで「うなぎ上り」に増加しています。昭和40年代は毎年平均135万戸もの住宅が建設され、既に「住宅の大供給時代」に入っていたと言ってよいでしょう(注2。それにもかかわらず、不動産競売はあまり利用されなかったのです。

(注2) 1971年(昭和46年)から翌年にかけていわゆる住専(住宅金融専門会社)各社が相次いで設立されました。
 利用が少なかったのは、このころは「不良債権発生がきわめて少なく、またロス(回収不能)額の発生も稀有」であり、「担保物件の競売まで実行するケースは、債務者が倒産あるいは行方不明等であり、担保不動産の競売による以外、回収方策のない場合がほとんどであったが、このようなケースさえ限られたものだった」2003年瀧波武「多様化する銀行の法的債権回収策」銀行法務21NO.616と言われています。不動産の価格が上昇していれば、いざというときには任意に売却して債務を解消することもできますから、不動産競売という最後の切り札を切る必要がなかった、そういう時代だったということでしょう。

 しかしながら、他方、不動産競売制度そのものに対して、利用しにくいという批判も古くからありました。指摘されたのは、誰でもが安心して買える制度ではない(閉鎖性)という問題点でした。

 すなわち、不動産の権利の公示手段は「登記」ですから、不動産競売手続は差押えも売却も「登記」によって行われますが、この結果、不動産の占有(事実的支配。分かりやすく言えば、使用していること)の状況は問題にする必要はないと考えられ、手続上、現地調査は行われないままに売却されていたのです(注3しかしながら、現地調査の行われていない不動産を買い受けるのは素人にはリスクが大きく、買受希望者はおのずから限定されてしまうことになります。当時は、希望者が売却場に出向いて入札を行う「期日入札」という方法で売却が行われていましたが、売却場では競売ブローカー等が無言の圧力をかけるなどの不正も行われたようですから、なおさらです。これでは、不動産競売制度は適切に機能しません。

(注3) 現実問題としては、対抗力を持つ賃借人が使用(占有)していれば、買受人はその賃貸借を引き受けなければならないので、不動産競売でも「占有」は問題になります。このため、債権者の申立てによって「賃貸借取調べ」と呼ばれる不動産調査が実務上行われていましたが、これは手続に必須のものとはされていませんでした。目的不動産を登記によって特定し差し押さえているのだから、屋上屋を架す現地調査を行う必要はないと考えられたのだと思われます。
 なお、動産執行ではこのような問題は生じません。動産は「占有」が権利の公示手段ですから、差押えも執行官が動産の占有を取得して行い(債務者使用が許可されたとしても)、売却も買受人に占有を移転して行いますから、明快です。

 そこで、執行官法成立の約15年後、1979年(昭和54年)に民事執行法が制定され、「開かれた競売」を目指す不動産競売制度の改正が行われました。
 すなわち、裁判所は、執行官に「現況調査」を行わせて(民事執行法57条)、売却条件を決定し、その条件を明示した「物件明細書」を作成し、現況調査報告書及び評価書とともに、買受希望者に閲覧させるように改めました。(これが、不動産競売物件情報がインターネットでも提供されるようになった発端です。)
 また、売却方法を、買受希望者が売却場で入札書を書かなくて済む「期間入札」に改めました(注4

(注4) 期間入札は、入札を一定期間内に郵便等によって行う方法です。入札者は売却場に出向く必要はありません。反面、入札書は開札日まで執行官室で保管することとなりました。

 そもそも法律関係は訴訟等によらなければ確定することはできません。現況調査で法律関係を調査してみても、あくまでも未確定の、つまり暫定的な認定に過ぎません。その暫定的に認定された法律関係を裁判所の判断(物件明細書)と明示して買受希望者に情報提供する!というのですから、まさに画期的な改正でした。(執行官の現況調査事務については次回ブログで取り上げる予定です。)

 ところで、この後、日本経済は大きく動きます。
 民事執行法は1980年(昭和55年)10月に施行されましたが、その5年後にプラザ合意が成立しました。プラザ合意以降、日本では、円高不況(輸出の減少)が懸念され、公定歩合引き下げなどの金融緩和政策がとられるようになって、不動産価格も上昇しました。そして、その後、1989年(平成元年)からの金利上昇、土地融資の総量規制などにより、急速に値下がりしました。バブルとその崩壊です。

 このときの土地バブルは「列島改造バブルと異なりこの時期の不動産投資は不動産業者の独壇場ではなく、むしろ金融緩和に悩んだ多くの種類の金融機関が主導権を握っていた」のが特徴とされ、「”不動産金融バブル”は金融機関と不動産業界を頂点として企業や個人が煽られ、挙句の果ては企業や個人が痛い目にあい、頂点にあった金融機関や不動産業界は崩壊してしまった。」(井上明義「地価はまた下がる」)と言われます。

 バブル崩壊後には、日本全国で大量の不良債権(注5が発生しました。しかしながら、不況の中で、破綻した金融機関等への国費投入などの問題も伴い、回復(不良債権処理)は著しく長引くことになりました。

(注5) このとき発生した不良債権の総額については、「バブル崩壊(92年度)以降073月期までの15年間の不良債権処分損(全国銀行)は累計で97.8兆円にのぼる。不良債権はなお11.8兆円残っているから、バブル崩壊後15年間に存在した不良債権総額は合わせて109.6兆円であったということになる。」(西村吉正「不良債権処理政策の経緯と論点」http://www.esri.go.jp/jp/others/kanko_sbubble/analysis_04.html)とされています。

 バブル崩壊の前後ころから不動産競売の需要は高まりました。「不動産競売(新受)事件数」(その年に申立てのあった事件数)を見てみますと、民事執行法の運用が定着したと思われる1982年(昭和57年)以降は次のグラフのとおり推移しました。
 このグラフを見てどんなことに気付かれるでしょうか?筆者が持った印象をいくつか書き出してみます。
1)「やむを得ず」申し立てられる不動産競売にしては、29年間、毎年平均6.5万件という数字は「多い」(注6と思われます。

2)競売が増えたということから、任意売却(注7は相対的に減少したと推定できそうです。

3)強制競売(グラフの下方の緑線)は、バブル崩壊後は減少しました(注8。これは、担保権が実行されるケースが増加したことを示します(古くは、担保権は実行されないもの!だったのが、変わりました。)

4)29年間を通じて、最多件数は7.8万件、最少件数は4.1万件です。不動産競売件数は、この3.7万件の幅の中で緩やかに(年度差は大きくありません。)増減していますから、安定していると見ることができるのではないでしょうか。

5)1990年(平成2年)前後の件数の減少はバブル崩壊の影響と思われます。筆者は、2007年(平成19年)5.5万件、2010年(平成22年)5.1万件と減少したのも、景気(不動産価格)の予測が困難で申立てが躊躇われたと推測しています。

6)年間7万件以上の年は、バブル崩壊前は1985年(昭和60年)以降の3年間、バブル崩壊後は1998年(平成10年)以降の7年間です。7万件以上の年がいずれも連続していること、また、8万件を超える年は1年もないことは、注目されます。

(注6) 前掲の新設住宅数の同期間の平均は毎年130万ですから、不動産競売の申立て件数はその4.98%に当たります。的外れの対比かもしれませんが、この比率はやや高いように思われます。

(注7) 不動産を不動産競売手続によらないで売却して債務を返済する、いわゆる任意売却は、「回収額の極大化と債権の早期回収につながるわけであり、債権者にはメリットがあった。」「しかし、不動産価額の下落により、金融機関の価額査定(要回収額)と実際の売買(希望)価額の間に乖離が生じ、取引が成立しないケースが増加した。」(瀧波武前掲)と言われます。もっとも、任意売却の件数の統計はなく、推定するほかありません。

(注8) 全不動産競売事件中に占める強制競売の割合は、バブル崩壊前は2638%でしたが、バブル崩壊後は、1992年(平成2年)25%が最も高く、以降、年々低下しました。1998年(平成10年)は15%2008年(平成20年)は7%に低下しています。

 民事執行法によって生まれ変わった不動産競売制度は、バブルとその崩壊によって生じた大量の金銭債権の最終的回収手段として、最大限の機能を求められるようになりました。今や、金銭執行の時代、さらに強調して言えば「不動産競売の時代」が訪れていると言えるでしょう。最近数年間は申立てが減少しているようですが、金銭債権が存在し、その回収が求められる限り、不動産競売の時代は続くのではないでしょうか?(最近の不動産競売の売却状況については筆者の「不動産競売価格統計」http://sarematu.in.coocan.jp/をご参照ください。)

 ところで、「不動産競売の時代」の到来は、裁判所にとってひとつの大きな「試練」であったことを最後に付け加えておきます。

 不動産競売の申立ては1991年(平成3年)以降増加に転じましたが、裁判所の「努力にもかかわらず、事件数の急増とともに、一般の不動産市況の影響を受けて売却率が長期にわたって低迷しているため、なお多くの事件が売却未了の状態で裁判所に継続している状況にある。」(林道晴「不良債権処理のための民事執行法及び民事執行規則の改正について」判例タイムズNo.986と言われました。全国の不動産競売未済事件数は、1990年(平成2年)は59,009件でしたが、1997年(平成9年)には121,257件と倍増しました。
 しかしながら、1998年(平成10年)になると、国会でいわゆる資産流動化関係法、金融円滑化法、金融再生関連法などが成立し、不良債権の早期処理に向けての本格的取り組みが行われることになり、不動産競売手続に関しても1998年(平成10年)に(注9、その後も2003年(平成15年)(注10及び2004年(平成16年)(注11に法律改正が行われ、全国の裁判所で不動産競売事件の迅速処理に向けて様々な事務改善が行われました。

 その結果、未済事件は2000年(平成12年)には98,468件と10万件を切り、2003年(平成15年)以降も70,647件→63,507件→53,800件と毎年減少を続け、2006年(平成18年)には46,172件になりました。
 なお、入札を求めた物件のうち、実際に買い受けられた物件の割合を「売却率」と呼びますが、売却率は2002年(平成14年)は53.1%でしたが、次年度以降62.9%→70.3%→75.8%と上昇し、2006年(平成18年)には81.3%と実に8割を超えるようになりました(金融法務事情No1806「平成18年度における不動産競売事件の処理状況」)

(注9) 1998年(平成10年)第143回国会において「競売手続の円滑化等を図るための関係法律の整備に関する法律」及び「特定競売手続における現況調査及び評価等の特例に関する法律」が成立しました。このときから、執行官はライフラインに関する契約状況や固定資産税課税台帳添付の図面等を調査できるようになりました。

(注10) 2003年(平成15年)第156国会において「担保物権及び民事執行制度の改善のための民法等の一部を改正する法律」が成立しました。これは、担保不動産収益執行手続の創設、短期賃貸借の保護制度の廃止、保全処分の要件の緩和等、競売不動産の内覧制度の創設、裁判所による財産開示制度の創設などを内容としています。

(注11) 2004年(平成16年)には「民事関係手続の改善のための民事訴訟法等の一部を改正する法律」が成立しました。この改正によって、「最低売却価額」制度に代わって、「売却基準価額」及び「買受可能価額」の制度が発足しました。また、剰余を生ずる見込みがない場合の措置の合理化も図られました。


2012年3月3日土曜日

執行官ミニ歴史(5) 執行官送達


 「送達」とは、例えば訴状のような書類を相手(受送達者)に届けることです。送達はとても重要な手続で、例えば、訴状が相手(被告)に送達されなければ訴訟は開始できません。それだけに、届けた!いや、届いてない!と争いになる場合も少なくありません。

 日本では、送達は裁判所が行うことになっており(職権送達主義)、その事務は裁判所書記官(以下、単に「書記官」といいます。)が担当します。送達を実施する方法には、郵便を利用する方法(以下、「郵便送達」といいます。)、執行官に行わせる方法(以下、「執行官送達」といいます。)などがあり、書記官はその中から選択して送達の実施を依頼します。

 執行官が送達実施機関であることは執達吏時代から法律に明記され、ほとんどの教科書にも書かれています。送達は執行官に縁の深い仕事です。

 執行官の民事送達受理(新受)件数を見てみましょう。次のグラフのとおり、昭和45年には389,763件も受理していました。(今回は刑事送達(注1)については触れません。ご了承ください。)
 ところが、その後は減少の一途をたどり、平成13年には5,143件まで減少しました。平成14年以降の統計は不明ですが(筆者は資料を持ちません。ご了承ください。)、現在も少ないながら送達事件を受理しています。

(注1)刑事事件でも、送達は民事訴訟法の規定に従って行われます。参考までに、刑事事件の執行官送達受理(新受)件数は、昭和45年に約23万件でしたが、昭和59年には1万件を切り、昭和62年以降は全国で年間100件に達しません。なお、刑事送達は執行官手数料の対象にはなりません。

 現在の送達実務では、圧倒的に多くの場合、書記官は郵便送達を利用します。郵便事業会社が郵便法に従って郵便物を取り扱いますが(注2)、郵便法49条は、民事訴訟法に従った送達を行うため、「特別送達」と呼ばれる、郵便物の特殊取扱を定めていますので(注3)、書記官はこれを利用して、送達書類を特別送達郵便物として発送して郵便業務従事者に送達を実施してもらうのです。

(注2)郵便事業は、郵政改革後は、国(郵政省)に代わって郵便事業株式会社が行いますが(郵便法2条)、郵便物取扱いのシステムは郵政改革前と基本的には異なりません。特別送達も古くから存在する制度です。

(注3)郵便制度は、元々、利用者へのサービスですから、受領意思のない人は受取りを拒むことができるのが大原則です。ところが、訴訟を提起された人には応訴義務、ひいては訴訟書類受領義務がありますから、受領拒否ができない配達方法、具体的には、相手(受送達者等)が受領を拒否したときには民事訴訟法に従って差し置くこともできる配達方法を採らねばなりません。特別送達はこれを実現する特殊な配達制度です。
 なお、特別送達は書留郵便物について付加される特殊取扱であり、配達以外は書留(特殊取扱の一種)として扱われます。
 
 送達は強制執行ではありませんから(執行官といえども強制力は行使できません。)、書類を届ける制度として明治時代から整備されてきた郵便制度が利用されるのは極めて自然なことです。しかしながら、昭和45年には執行官送達は38万件も利用されていたのです。それが、その後急速に減少しました。これはいったい、どうしたのでしょうか?

 これには背景があります。変化のきっかけは執行官法でした。執行官法成立当時に話を戻してみましょう。

 執達吏、執行吏時代にも、会計などすべての仕事を一人で処理できるものではありませんから、「役場」が置かれ、職員が執達吏、執行吏を補佐していました。役場の規模は地域により様々であったと言われますが、昭和41年当時の東京執行吏役場は、執行吏が20数名、職員が85名という大規模な組織であったそうです(昭和4162日衆議院法務委員会)

 この当時は、執達吏、執行吏は、自己の責任で職務の執行を委任することができるとされ(執達吏規則第11条)、受任者が、裁判所の認可を受けた上、「代理」として仕事をしていたのが特徴的です。昭和41年当時の東京執行吏役場では、職員のうち35名が執行吏代理でした(昭和4167日衆議院法務委員会)。また、全国では、昭和413月末日現在、執行吏代理は245名いたと言われています(既述のとおり、執行吏は325名でした。)

 執行吏代理については、「厳しい強制執行はもっぱら執行吏代理がしていた」という指摘もあり、また、「執行吏役場運営の面でも重要な役割を果たしていた」(注4)と言われます。しかしながら、当時の送達事件数の多さを考えると、執行吏代理は「二百四十五名のうち、ただいまも百名余りはもっぱら送達をやっておるわけでございまして」(昭和41526日衆議院法務委員会菅野最高裁判所長官代理者答弁)と述べられているように、一般的には送達事務を担当することが多かったと思われます。大規模役場には、執行吏代理以外に送達事務を専門に処理する「送達代理」もいたようです。

(注4)東京執行吏役場の労働組合(昭和29年結成)委員長の、昭和4167日衆議院法務委員会での発言。「老齢化したところの執行吏を一面ではささえてきたといっても過言ではないと考えております。」との発言もあります。

 ところが、執行官法の制定に当たっては、執行官が割り当てられた事務を他に「委任」することはできない(公務員性強化)とされ、執行吏代理は廃止される方向に向かいました。
 昭和41510日衆議院法務委員会における政府委員説明では、「現行のいわゆる執行吏代理の制度につきましては、その弊害が各方面から指摘されていること及び今回の法律案の趣旨が執行官の公務員としての性格を強化することにあることにかんがみまして、このような制度を執行官については設けないことといたしました。」と説明されています。

 もっとも、前記政府委員は続けて、「ただ、現在相当数の、いわゆる執行吏代理が、執行吏のもとにあって臨時にその職務の委任を受けて稼働している現状にかんがみまして、いま直ちにこの事態を完全に消滅させることは困難と考えられますので、法律案附則第十一条におきまして、当分の間に限り、一定の資格のある者には、執行官において、所属地方裁判所の許可を受けて、臨時にその職務を代行させることができることといたしました。」と述べています。

 執行吏代理は廃止する。しかし、執行官法施行後も、当分の間、執行官代理として存続するということになったわけですが、では、送達事務はどうなるでしょうか?前記法務委員会では、執行官が送達事務を担当すること自体に疑問があるという意見もありましたが・・・

 この点については、「三年、四年の間に執行吏代理をなくすと申し上げましたけれども、それはいわゆる執行吏代理をなくすという意味でございまして、三年たった後におきましても、送達代理はその後しばらくまた残っていくのではなかろうかというふうに思っております。」(昭和41526日衆議院法務委員会菅野最高裁判所長官代理者答弁)と述べられています。執行官送達そのものを廃止する方向には向かわなかったのです。

 このようにして、執行吏代理は、初年度には17名が執行官になり、平成4年までに合計52名が執行官に吸収され、平成4年にはその数は9名に減少したと言われています(淺生重機(当時東京地方裁判所民事21部総括判事)「執行官制度の歴史と将来の展望」1992年(平成4年)3月民事執行実務No.22現在は、もちろん、執行官代理はいません。

 送達に携わる執行官代理(旧執行吏代理)が減少していけば、かつてのように送達事務を処理することができなくなるのは当然です。このような流れを受けて、送達事務に携わる書記官が郵便送達に傾斜していったことを、前掲の送達受理件数グラフは示しています。

 執行官が真価を発揮すべき事件はやはり強制執行事件なのですから、いつまでも、かつてのように年間60万件(民事刑事合計)もの送達事務を処理し続けることは好ましいことではありません。執行官送達の減少は、執行官制度のあり方から見ても、良いことであったと思います。

 ところで、現在も、執行官送達はなくなったわけではありません。執行官送達は今も求められて続けています。曝松公平も執行官時代に年間数件の送達を実施しました。

 どういう場合に執行官送達が求められるでしょうか?簡単に言うと、郵便送達がうまくいかないとき、特に、郵便送達が不能で返戻されてきたときの再送達方法としてです。執行官送達が郵便送達の補充的役割を期待されていることは間違いありません。

 送達は昔から書記官泣かせの事務でしたが、昭和57年の法律改正で「就業場所」という新しい送達場所も認められ、「民事訴訟関係書類の送達実務の研究(新訂)」という書記官実務研究報告書を読むと、送達実務の複雑・困難度は一層増しているように感じられますので、書記官の皆さんが執行官送達に期待をかけられるお気持ちはよく分かります。

 執行官は皆その期待に応えたいと思っているはずですが、これからの執行官送達については、曝松公平は、郵便送達制度の実務の現状を正しく評価し、理解した上で、真に、郵便送達の補充的役割を果たすよう活用が図られなければならないと考えています。

 いかに完成度の高い郵便送達制度といえども、高齢化とともに世帯細分化、孤立化が進む社会の変化に対応するには、いわば制度の隙間を埋める工夫が必要になります。送達に関しては、書記官と連携した執行官送達の在り方が問われると思います。・・・が、紙面が尽きましたので、この点は後日のブログのテーマとさせていただきます。

 今回は「送達」という、裁判所の内部事務とも言えるマニアックな?世界の話にお付き合いいただき、ありがとうございました。