2013年4月12日金曜日

執行官ミニ歴史(9) 新世代執行官



 執行官法は1966(昭和41年)627日に成立し、同年1231日から施行されました。当時の地方裁判所(以下「地裁」と言います。)は全国に49、地裁の「支部」は228(甲号支部63、乙号支部165ありました。(なお、現在は地裁は50(昭和57年沖縄復帰)、地裁支部は203(平成2年支部適廃)です。

 執行官法は「役場制」を廃止しましたから、執行官約340(注1は、上記の本庁、支部合わせて277の裁判所の「執行官室」を拠点として仕事をするようになりました。
 しかしながら、執行官の配置は、「都市部」と「地方」で格差のあった執行吏時代(注2を引き継ぎましたから、東京のように20数人が配置された裁判所がある反面、「地方」の多くの裁判所では執行官は極めて少ないのが実情でした。また、執行官が配置されないため、裁判所書記官が執行を担当(注3した裁判所も少なくなかったと思われます。

(注1 340というのは「代理」を除いた人数です。執行官と執行官代理とを合わせるとその数は570人ほどとになります。執行官代理は、通算して52人が執行官に組み込まれ、平成4年頃までにほぼ解消されましたが、この間の執行官数を理解する上では「代理」の存在を念頭に置く必要があります。

(注2 法制審議会強制執行部会小委員会が1954年(昭和29年)から数年間にわたって、執行吏制度の実情調査を行った結果、「大都市と地方都市の間では、収入、役場規模等の点において大差があり、小都市の執行吏の役場経営はほとんど事業体の形をなしていないこと」が指摘されています(西村宏一・貞家克己編集「執行官法概説」55頁)。

(注3 裁判所は、執行官を配置できない場合には、裁判所書記官に執行官の職務の全部又は一部を行わせることができる(裁判所法20条)とされ、これを行う書記官は「執行官事務取扱書記官」と呼ばれます。離島の簡易裁判所の書記官が指定されるケースなどもありました。なお、現在も1支部でこの態勢がとられているようです。

 ちなみに、1968(昭和43年)の各地裁の執行官数は次のグラフのとおりでした(データは前掲「執行官法概説」の統計資料によりました。)

【グラフ説明】庁名は現在のものを使用しました。沖縄復帰以前のため、那覇地裁はありません。高裁所在地の地裁にデータラベルを表示しました。

 ところで、執行官法は、債権者が執行官を選び、執行を委任する「自由選択制」を廃止し、裁判所が事務分配を定め、執行官に執行を行わせる態勢を採るよう改めました。
 このため、裁判所は必要な数の執行官を確保すべき立場に立つことが一層明確になりましたが、執行吏数は昭和35年をピークに減少傾向にあり(前回ブログ参照)、執行官法案審議の際にも「執行官は100名の増員が必要」(当時の国会答弁)と言われましたから、裁判所は、執行官法施行とともに、「執行官の増員」という大きな課題を抱えることになりました。

 執行官には「定員」はなく、執行官数は各地裁(の「裁判官会議」)で、処理する事務量に応じて決めることができます。したがって、もし、執行官が俸給制であったなら、裁判所は、事務量に応じて、予算の許す限り多数の執行官を配置することができますが、執行官法の下でも「手数料制」は維持されました。
 手数料制の下で増員を行う場合には、増員によって生じる執行官の収入減という問題(注4への配慮が必要になります(注5)。手数料制は「収入は士気につながる」という考えを基にしていますから、裁判所としては、収入減が執行官の士気を低下させ、執行業務に支障を生じるおそれがないか、考えなければならないのです。

 このため、裁判所は、一般には、少なくとも数年程度の事務量の変化を予測して(6)、いわば慎重に、増員を行っていくことになります。

(注4 増員は、多くの場合(すなわち、増員数に応じた事件数の伸びが継続しない限り)、執行官の収入減をもたらします。執行官が少ない(元々事件数が少ない)ところほど、増員の影響は大きくなります。例えば、1人配置のところを2人にすると、事件が増えない限り、執行官の収入は半減します。

(注5 公務員として厳正に職務を遂行する立場にある執行官の心構えとして、手数料制だからこそ「少なくとも営利を追求する意識だけは完全に清算することが要請される」(西村宏一講演「執行官法の制定を顧みて」民事執行実務No.17(昭和62年)70頁)と言われます。
 多くの執行官も、この意見に同調するはずです。けれども、論者も、その前提として「相当額の事務経費を執行官が負担しなければならない現状においては、完全に企業性を消滅させるということは困難であるとしても、」と断っておられます。手数料制のため、執行官が、現実に自営業主であるという事実も否定することはできないのです。
 ・・・手数料制の下では、執行官は日常的にこのアンビバレントな局面に直面しています。立場こそ違え、裁判所にとってもこの問題は大きな問題です。
 翻って考えてみますと、このような問題は、実は、どのような職業にも付きまとっているのではないでしょうか?例えば、囲碁棋士の藤沢秀行は、その著「盤上のロマン1」(昭和53年平凡社)の序文で「碁は芸か勝負か。私は芸だと思っているし、そういう碁を打ちたい。一生に一手でも、これはという手が打てれば満足だ。しかし一般的には、芸の要素と勝負の要素とが相半ばしているというのが正解だろう。」と簡潔に述べています。いずれかを否定すれば済む問題ではありません。

(注6 執行官数の増減は、実際上は、辞職を承認したり(執行官には定年はありません。)、採用すること、つまり人事によって実現されます。執行官は、通常は、採用後65歳(これが執行官の事実上の定年年齢です。)までの勤務を想定しなければなりませんから、増員といえども中長期的な人事計画が必要です。そのためには、執行官の事務量について少なくとも数年先までの見通しを持たねばなりません。

 では、執行官法施行後、執行官の事務量はどのように変化し、執行官数はどう動いたでしょうか?筆者が手持ちの公刊物等で把握した限りのデータに基づく不十分な分析ですが、2002年(平成14年)ころまでを振り返ってみましょう。

 執行官の事務量をどう見るかということ自体、超難問ですが、「物差し」は必要ですから、筆者が主要3事件の事件数に基づいて指数化したグラフを掲げます(筆者の独断に基づくことには、くれぐれもご注意ください。)。執行官の事務量(全国)は下のグラフのように変化したと考えてほぼ間違いはないだろうと考えます。
【グラフ説明】主要3事件の各事件の負担比率を、動産執行は「1」、建物明渡は「10」、現況調査は「3」と仮定して、年間事務量(全国)を指数化し、その変化を見てみました。事務量指数は10041年間の平均値です。
 なお、上記の負担比率は、41年間を通じた総負担は3事件ともに等しいと(勝手に)仮定して、41年間の総受理件数が、動産執行を基準にして、現況調査は3分の1、建物明渡は10分の1であることから算出しました。現況調査の比率を高めると、1983年(昭和58年)ころ以降の指数はもっと高まります。

 執行官数は以下のように推移しました。
(注意)以下にお示しする執行官数は、筆者手持ちの刊行物で判明する数のほか、推定した数を含みます。必ずしも正確ではない場合があることをお断りしておきます。間違いはご指摘いただければ幸いです。

1)1982(昭和57年)ころまで・・・・・350400人未満
 事務量指数は4060で推移しており、増員はされましたが、執行官数は400人未満で推移したと思われます。(前掲グラフのとおり、1968年(昭和43年)は366人でした。)
 この15年間に行われた増員は、毎年平均4(各地裁単位では0.1人弱)という安定感のある、いわば緩やかな増員でした。

2)1983(昭和58年)から1988(昭和63年)ころまで・・・・・400人台
 事務量指数は民事執行法施行後に急速に高まり、1986年(昭和61年)から1988年(昭和63年)までの3間は130台と、最初のピークを迎えました。1983年(昭和58年)以降の年間で合計109人の増員が行われ、1988年(昭和63年)の執行官数は494人となりました。しかしながら、500は超えませんでした。

3)1989(平成元年)から1997(平成9年)ころまで・・・・・480530
 事務量指数は、バブル崩壊とともに100を切って低下しましたが、1992年(平成4年)には102に回復し、その後120程度まで上昇しました。執行官数は、「平成2年以降、485名から520名ないし530名程度」で推移したと言われます(林道晴(執筆当時、最高裁判所事務総局民事局弟一課長)「平成10年以降の不動産執行手続の運営改善について」(判例タイムズ1069号))
 事務量指数が低下するという事態を初めて迎えたためか、1991年(平成3年)521人→1992年(平成4年)511人のように、事務量指数に対応しない執行官数の変動も見られ、やや安定感を欠くようですが、通算すると緩やかな増員が行われました。

4)1998(平成10年)ころ以降・・・・・520650
 執行官数は、1998(平成10年)以降2002(平成14年)までの5年間に108人の増員が行われ、2002(平成14年)12月の執行官数は634人となりました(「新民事執行実務No.1」)。地裁別の執行官数は下のグラフのとおりです(前掲昭和43年のグラフに追加しました。)
 なお、2004年(平成16年)には執行官数は650人を超えたと思われますが(これが執行官の歴史上最も多い数です。)、その後は減少しています。

 以上の経過を振り返ってみて、1998(平成10年)の前後で増員速度が大きく違うことに気が付かれたことでしょう。すなわち、上記1)2)3)の30年間に行われた増員は約180(約340人→約520人)であり、平均して毎年6(各地裁0.1人)の増員が行われたことになりますが、上記4)、1998(平成10年)以降は、2003(平成15年)までの6年間に約120(約530人→約650人)の増員が行われました。平均すると、毎年20(各地裁0.4人)の増員が行われたことになります。

 1998(平成10年)以降は、上記の事務量指数は130台であり1988(昭和63年)ころと変わりなかったのですから、従来なら、さらに増員をするという考えには結びつかなかったはずです。それにもかかわらず増員が行われたのは、執行官の必要数について裁判所の基本認識が大きく変化したことを示しています。

 すなわち、この頃、手数料制にかかわる、画期的な制度改革が行われました。1999(平成11年)から始まった、不動産売却手数料の50%の「全国均等配分制」です。
 これは、全国で行われた不動産売却の手数料の50%を全国の執行官に均等に配分する制度です。多くの地裁の執行官室で、不動産売却手数料をプールして執行官で平等配分することが既に行われていましたが(「プール制」と呼ばれました。)、これが、50%にとどまるとはいえ、全国規模で行われることになったのです。

 この結果、約1世紀、厳格に守られ続けてきた手数料制は「緩和」され、その緩和された手数料制の下で、執行官1人当たりの適正な事務量(「配置基準」とも言われます。)の見直し(注7が行われて、増員が行われました。筆者は、この制度の導入が、この時期に実施された一連の制度改革(注8の出発点となったと理解しています。

(注7 従来、執行官の事務量は「動産執行」を基準として判断されていたように思います。前掲の昭和43年の執行官数グラフはその典型であり、「動産執行シフト」と言ってよいでしょう。ところが、その後の平成14年のグラフは、現況調査を基準とした「不動産競売シフト」とも呼ぶべき状況に変化しました。執行官の配置を現況調査を中心に考えるように変わったと思われます。

(注8 一連の制度改革の要点として、中脇慎二郎(最高裁判所事務総局民事局第三課課長補佐)「執行官制度の改革及び方向」(新民事執行実務No.1)には、①執行官配置の適正化(2002年(平成14年)41日現在員は平成10年に比べて100人の増員など)、②経済基盤の整備(平成117月から不動産売却手数料を全執行官で均等配分する制度が発足)、③採用選考資格の明確化(公務員は行政職俸給表(一)7級以上、公務員以外は法律実務経験15年以上という応募基準で公募して試験を実施することが明確化された。)、④総括執行官制度(平成14年4月から全国で執行官室を統括する執行官が任命されることとなった。)が挙げられています。
 詳細は、林道晴(当時最高裁判所事務総局民事局弟一課長)「平成10年以降の不動産執行手続の運営改善について」(判例タイムズ1069号)をお読みください。また、林道晴(執筆当時最高裁判所事務総局民事局長)「執行官制度改革の10年とこれから」(平成223月「新民事執行実務No.8」も御参照ください。

 なお、以上のような増員は、折から進んでいた執行官の世代交代を促進することになったことも忘れてはなりません。
 すなわち、裁判所一般職員から任用された執行官は1996年(平成8年)ころ以降5年ほどの間に一斉に退職しましたから(注9、増員と相俟って、この頃、執行官の大多数が若年者と入れ替わっていったのです。新任執行官研修の参加者は毎年100人ほどにもなり、40歳代の執行官や、裁判所外から採用された執行官も増えたようです。(現在の執行官の中では2000年(平成12年)採用者が最も多いようです。)

(注9) 裁判所の一般職員(つまり裁判官以外の職員)は、終戦直後、昭和215,973人→昭和228,762人→昭和2318,195人と、戦前の3倍に増加しました(出典:「裁判所百年史」資料第六「裁判所の職員巣の推移」)。この頃大量採用された一般職員が、昭和60年の定年制の施行に伴って、1990年(平成2年)~1993年(平成5年)ころに一斉に大量退職しました(退職のピーク期は裁判所によって若干ずれがあります。)。
 この大量退職世代から任用された執行官が、執行官の事実上の定年年齢65歳(執行官は定年制ではありません。)を迎えたのが1995年(平成7年)頃からであり、再任用なども行われた結果、1996年(平成8年)ころ以降5年間ほどは、毎年、60人から80人が退職する、いわば執行官の大量退職期に当たりました。

 このように、上記の一連の制度改革が行われ、増員によって執行官の世代交代(若年化)も急速に進みましたから、2002(平成14年)には、執行官は「新」時代を迎えたと言うことができます。
 これを象徴するのが、2003(平成15年)に日本執行官連盟が発行した「新民事執行実務No.1です(注10。その巻頭言で、古島正彦日本執行官連盟会長は、執行官に対し新たなスタートを切る覚悟を求めました。緩やかな手数料制は、過去にはなかった新たな「心構え」を持つことを執行官に求めました。

(注10) なお、最高裁の「執行官雑誌」は、これを機に平成14年版No.33で打ち切られました。

 ・・・それから、既に10年が経過しました。「新」時代の執行官もそろそろ後継者にバトンを渡す時期にさしかかっています。執達吏が生まれてから124年目を迎える今、執行官一人一人が「新」時代を総括し、次の世代に引き継ぐ気持ちを持つことがなにより大事になっているのではないでしょうか。


0 件のコメント:

コメントを投稿